恵比寿、ヱビス、えびす

Ayuna Fujita
exploring the power of place
4 min readOct 19, 2019

私のおばあちゃんは仕事帰りにいつも近所の七福神・恵比寿様にお参りしている。宝くじやパチンコ(メダルゲームの)といったいわゆる運ゲーが好きなおばあちゃん。縁起がいいから、毎日恵比寿様を撫でていればきっと良いことがあるからといつも言う。宗教とは少し違う、おばあちゃんの神様との付き合い方。

ふと思い立って、地名「恵比寿」の由来を調べてみた。どうやら、ヱビスビールを製造していた日本麦酒醸造有限会社(現在のサッポロビール)の貨物専用駅だったことに由来しているらしい。そのヱビスビールは恵比寿様に由来しているそうだ。だけど、恵比寿様に由来していると言われても、ヱビスビールに宗教色を感じることはない。

この夏にトルコで現地の大学生と交流したときに、興味深い話を聞いた。トルコでは国民の90%以上がムスリムと言われているものの、街中でお酒が平気で売られているし、ヒジャブを被らない女性もよく見る。他のムスリムが多い国に比べても、トルコ国内の信仰度合いの差は大きい。クルアーンに書かれた教えを熱心に守るムスリムもいれば、ラマダンをしないムスリムもいる。そんなに信仰度合いに差があるのに、全員が同じムスリム(宗派の違いはあるものの)として生活していて、周囲からもそう認識されていることが私には不思議でならなかった。だから思わず、「何をもってムスリムであると言えるのですか?」と聞いてしまった。答えは「アッラーを信じるかどうか」とのことだった。

日本人の多くも、日常的に神様にお祈りする。大晦日には寺で除夜の鐘を鳴らすし、元旦には神社にお参りに行くし、普段寺や神社を見つけるとせっかくだからとお参りしたりもする。どうして年の変わり目にお参りするのかなんて考えたことがなかったけど、「1年間ありがとう」と「これからもよろしくね。できたらこんなお願い事を叶えてほしいな」を伝えに行っているのだと思う。神社や寺でお祈りをしていても、私たちの多くは「信仰している」という感覚をあまりもっていないように思う。イスラム教やキリスト教みたいに唯一神ではなくて、たくさんの神様がいろいろな場所に宿っているって考え方が日本では主流だけど、少なくとも私は、今お参りしているのが何の・どういう神様なのかわからずに祈っている。

最近、観光・就労を問わず外国人の日本への流入が増加している。それに伴って、ハラルマークの普及や礼拝所の整備も進んできている。宗教を信仰するという感覚があまりわからない私たちは、そういった面で彼らになにをすることができるのだろう。逆に、どこまで彼らに気を配るべきなのだろう。そんなことを考えていると、アルバイトで外国人のお客さんが来たとき、過剰に気にしてしまう自分を思い出した。求められていないのに声をかけたり、様子が気になって半分も空いていない湯のみにお茶を注ぎに行ったりしてしまう。もしかしたら、内気でシャイだとよく言われる私たちは、やってくる外国の人に対して身構え過ぎているのかもしれない。宗教の面でもそうだ。スーパーの食材の話になったとき、トルコの大学生も「もし私たちの教え(クルアーン)に配慮してくれるのなら、無理にハラルコーナーを設けなくてもそれが豚肉だということを書いておいてくれればいい。ムスリム全員が豚肉を食べないわけではないし、食べるかどうかはこちらの判断だから。」と言っていた。宗教観の緩いトルコならではの発言なのかもしれないが、何もかもを手厚く「お世話」する必要はないのかもしれない。

私は神様がいつも私を見ているなんて意識しないし、日常的に祈るというよりは、都合の悪いときに神頼みをする程度だ。宗教という考え方があまり身近にない私たちが、彼らが日本での生活でどのような障害を感じるか想像することは難しい。でも、彼らを特別な存在として受け入れるよりは同じ生活者として、助けが必要そうだったら喜んで手伝うくらいの距離感がちょうど良いのではないか。

そういえば、気になって恵比寿で恵比寿様を探したら、駅の西口にいた。

人が写り込まないタイミングでシャッターを押したけど、普段は待ち合わせ場所に使われていそうだった。左下の飲み物はポイ捨てなのか、お供え物なのか・・・。

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