戻ると帰る

Natsumi Kakishima
exploring the power of place
4 min readMay 10, 2017

友達と電話していた。

「あさって、しんゆりに帰るよ。」この言葉を発した自分に、違和感を感じたのは今年に入ってからのことだった。生まれ育った埼玉県を去り、縁もゆかりもないこの街、新百合ヶ丘で一人暮らしはじめてから1年記念日を迎えた。これといって特徴のある街でもなく、大学の最寄駅までは30分弱かかる微妙すぎるこの街に住もうと決意した理由はいたって単純だった。ただ都会と大学の中間地点に住みたかった。それだけだ。そんな私の一人暮らしは、きっと未だに許されていない。さっきのはちょっと嘘で、一人暮らしを始めて、ではなく家出娘になって1年記念日といったほうが正しかったかもしれない。

1年前の春。高校卒業を目前とした私には、進学先に2つの学部の選択肢があった。1つは、実家からも通える歴史的で有名なHキャンパスで、もう1つは実家からは通えない田舎にある、新設のSキャンパスだ。両親は昔から放任主義で、受験のことを相談したことはほとんどなければ、「勉強しなさい」なんてセリフは19年間生きてきて一度も言われたこともなかった。だから誰に相談するでもなく、贅沢な選択肢だな、なんてどちらに進学しようか悩んでる自分に酔いながらも、当初から目指していた「Sキャンに行こう」と決め、父に告げた。

一言目の返答は

「なに勝手にきめてんの。法学部(Hキャン)に行かないなら、学費は払わないよ」だった。

長男とは対照的に、娘の私は甘やかされて育ったからこそ、父に進路のことで”強制”されることはあまりにも予想外だった。どんなにSキャンの魅力やそこで学びたいことをプレゼンしても父は許可をくれず、家から通える選択肢があるのに一人暮らしする必要はない、の一点張りだった。「もうなんといわれようと自分のやりたいことができる道を選ぼう」なんて、当時の私は安っぽい青春ドラマにでてきそうな台詞しか頭になかったと思う。入学金振り込みの日の朝、祖母と一緒にこっそり銀行に行ってSキャンに入学金を振り込んだ。家を出て行く覚悟はあった。自分で賃貸を探して、父とのしこりをのこしたまま埼玉を去ってから、気づけばもう1年が経った。

入学式には来ないといっていた父が、式に来た時はどこか気まずくて、これといって何を喋ることもなく、ただ写真を1枚だけ撮って、お互い別々の家に帰った。夏が終わって、次に帰ったのは冬休みだった。久しぶりの実家で家族とご飯を食べ、お風呂に入って、シャワーを浴びたとき、水圧の弱さに驚いた。実際は何も変わらない18年間使い慣れていたはずのそれに、居心地の悪さを覚えるようになっていた。そして新百合の家に戻ってシャワーを浴びて、そのいつもどおりの水圧にホッとするようになっていた。その事実が私の変化を物語っている。

埼玉に「帰る」新百合に「戻る」きっと1年前の春はこういう言葉を選んでいた。前者は帰りたい。後者にはどこか戻らなきゃというニュアンスが1年前の私にはあった。でもいつしか「新百合に、帰る。」という言葉の組み合わせを選ぶようになっていたのに気づいた。私よりもずっと若いころに家を出た父は、実はこうなることをわかっていたのかもしれない。昔の自分に重ねて、あのとき娘の私が変わっていくのを、離れていくのを、ただ寂しがって反対していたのかもしれない。そんな父をゴールデンウィークに旅行に誘った。旅先で、地酒を片手にほろ酔いの父は、「卒業したら、埼玉にもどるでしょ?」なんて不器用ながらに、家出娘に語りかける。まだ帰ってくることを諦めていないようだ。日々変わっていく自分に気づくのは切なくて、帰りたい場所が今は2つある自分もどこかいやだ。いつか新百合がホームになってしまう気がして。だけど父はいつまでも私を待ってくれている。

祖母が払ってくれたと思い込んでいた学費を、実は父が振り込んでくれていたことを知ったのはそれからまた少しあとのことだった。来月は、いつ埼玉に帰ろうか。そんなことを考えることが、前よりも増えた気がする。

GWに旅行した下田の海と父。(父の写真を撮るのはなんだか照れくさいから、後ろ姿をこっそり)

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