整理整頓

Izumi Iimori
exploring the power of place
4 min readSep 19, 2020

私はよく独り言を言う。それも単語や短文ではなく結構ベラベラと話すので、独り言というよりも一人語りと言う方が近いだろうか。多くの場合はお風呂に入っているときや、一人で車を運転しているとき。これは内緒だけれど、道を歩いているときにイヤホンで誰かと電話をしているように一人で話していることもある。

これは私の頭の中を整理するための方法なのだ。

色々なことについて同時進行で考えを巡らせたり、一つのことを深く考えすぎて出口が見えなくなってしまったりすると、気がついたら頭の中で糸が絡まってぐちゃぐちゃになってしまう。そのようなときに私は、頭の中にあるものを口から発することで一つずつ思考を整理し、絡まった糸を少しずつ解いていく。言葉にするまでの段階で自然と自分の状況を客観視するため、自然と今一番自分にとって重要なことが自然と浮き彫りになるのだ。そして、頭の混乱による焦りや不安がふと紛れる瞬間がくる。

私は中学生のときからこの方法を採用しているが、ここ最近独り言を発する機会が増えてきたように思う。湯船に浸かりながら長々と一人で話しているので、お風呂の時間が長すぎると家族からのクレームも受けた。きっと今、人と密なコミュニケーションをする機会が減ってしまっているからだろう。思考を外部化する機会が突然減ってしまったために、自分のキャパシティが限界を迎えようとしている。今までは、特に目的がなくても誰かとダラダラと話す時間が当たり前のように日常の中にあった。サークルの練習や学校に行けば友達がいて、他愛もない話をする時間があって、また数日経てばすぐに会えた。だから、次から次へと頭の中に思考の種が入ってきたとしても、それを日常的に言葉にする機会があったおかげでこまめに整理整頓がされていたのだ。しかし家の中で過ごす時間が増え、誰かと会ってコミュニケーションをとる機会が格段に減ってしまった今、必死に頭の中を整理するためにこれまで以上に独り言を言っているのだと思う。正直、次から次へと考えなければならないことが舞い込んでくるから、整理整頓は追いついていない。

数ヶ月前、私の「思考整理術」が少しアップデートされた。ひたすら口から言葉を発するだけでなく、それを文字におこして記録として残すことを始めたのだ。そのきっかけとなったのは、ある友人の「議事録習慣」だ。その友人とは家が近いためサークルの練習からの帰り道が一緒で、いつも別れるギリギリまでマシンガントークをする。そして乗り換え駅で別れると、その数分後にそれまでに話していたことの「議事録」が送られてくるのだ。

ある日の議事録

私は言葉にして発することでの整理で満足していたが、彼女の場合はさらにそれを文字に起こすということまでを行なっている。たしかに彼女から送られてきた議事録を見返すと、そのときに何に悩んでいてどのような結論を出したのかを振り返ることができるから面白い。そこから目に見える形で記録を残すということの価値を感じ、一人で思考を整理するときにも「議事録」をつけるようにしている。今までは文字に起こす作業が思考のスピードに追いつかないことがストレスだったためにあまりしてこなかったが、きちんと言語化したものを文字として残し、未来に振り返れるようにしている。思考の整理に加えて、思考の軌跡を残すことにした。

人となかなか会うことができないタイミングで考えなければならないことが山のようにあり、自粛期間中は常に頭の中が散らかっていた。正直今も、がんばって整理をしても、またすぐに散らかってきてしまう。こんな状態では心も落ち着かないが、きっと必死に頭を整理整頓しつづける時間も、自分にとっては何か意味があるのかもしれない。そう信じて、私は今日も自分の頭の整理整頓に取りかかる。

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