旅の効能

ハナワヨシノリ
exploring the power of place
4 min readDec 19, 2017

2017年ももう終わりか…と感傷に浸りつつInstagramを見ていたら、Googleからメールが届いて「月まであと250,218km」と自分の思考に干渉してきた。何だお前と思いきや、自分で「Google タイムライン」を設定したからであった。タイムラインとは、自分ある時どこにいて、どんな移動をしてきたかが表示されるものだ。GPSさえ入れっぱなしにしておけば、勝手にログを取ってくれるので便利で、かれこれ1年半くらい入れている。

月まで20万kmと言われても、あまりピンとこないなぁ。そう思いつつも、訪れた都市の累計は「77」と表示されている。77都市を訪れたと言われると、なかなか色々なところを回ってきたなあとやっと実感が湧く。もちろん実家のある茨城にもちょくちょく帰ってはいたが、学校の用事や、友達との旅行でどこかに出かけることが増えた。

旅をするとなると、色々な準備をしなければならない。服の準備に始まり、数日間家に帰れないのだから、PCや充電器なども忘れないようにパッキングをする。その他にも切符を買ったり、行くところを決めたりと、準備は尽きない。面倒だなと思いつつも、あれこれ想像を巡らせ、妄想を膨らませている準備の時が一番楽しい。そうして入念な準備をした後でも、思いがけないことは多々起こる。

夏休みの後半、9月の初めから15日まで、半月ほど家を空けて旅をしていた時には、福岡で道には迷い、広島では飲み屋を探して1時間ほど歩き回る。福井では逆方向の電車に乗ってしまい、大遅刻をした。それでも、旅のハプニングはつきものであり、割り切って楽しむのもまた一興であろう。良いにせよ悪いにせよ、思い出として語ることもできる。

8月31日、羽田空港にて撮影した。深夜なので眠い。

一方で、旅の終わりはあまりいいようには語られないのが常である。例えば次の日から仕事だったり、学校だったりして、日常にいきなり引き戻される。旅の帰りの新幹線は、サザエさんのように、日常が始まることを否が応でもお知らせしてくれる。

ただ、この間はちょっとだけ違っていた。長い旅を終えた僕にやってきたのは、日常が戻ってくることの倦怠感だけでなく、住んでいるまちに帰ってきたという安心感であった。いつもは「うざったいなぁ」と思う商店街のガールズバーの客引きも、深夜12時にしては明るすぎるネオンサインも、「自分のまちに帰ってきたんだな」と心地よく感じてしまった自分に驚いた。まちの1つ1つが、僕を暖かく受け入れてくれるような感覚を覚えた。

押し付けがましく「ここは良いまち」と言われるより、ふとした瞬間に「ここっていいまちかも」と思いたい。もしかしたら、そうなるまでには、多少なりとも時間を必要とするのかもしれない。別に客引きやうるさいネオンサインを「いい」と思ったことはないが、これも僕の住んでいるまちを構成する一つだなと気付いた。

つまり旅を経て、「僕の住んでいるまちに客引きがいる」ということを認めたのである。決して僕の心が読まれているとは思わないが、僕が認めたことによって、向こうもまた、僕のことを認めてくれた気がした。別に深淵は見ていないけれど、客引きもまた僕のことを認めている気もした。

どうせなら、いいまちと自分が思えるまちに住みたい。そのために、まずはまちの一つ一つを認めることから始めよう。そんな時、日常を再認識するための手続きとして旅があり、その効能は、旅から帰った後にじわじわと効いてくる。

距離を置き、日常から離れる。たったそれだけのことが、何かを認めるきっかけになり、向こうも認めてくれているような気にまでしてしまう良薬になるのかもしれないと思ったところで、大掃除の最中だったことを思い出し、スマホを置いて掃除機をかけだすのであった。

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