旅への思い
🛩 Another flight to Phù Cát
ふと、遠くに暮らす友だちのことを思い出した。こうしてスアンくんのことを綴っている部屋から、彼の暮らす村までおよそ3,600km。3年前の春、ベトナムで出会った。ぼくは、同僚のチーさんたちがすすめているプロジェクトに同行することになり、初めてのベトナム行きが実現した。
じぶんが企画し運営するフィールド調査だと、さまざまな調整や手配に時間もエネルギーも奪われるのだが、「オブザーバー」のような立場が許されていたので、とても気楽だった。なにより、(ここだけの話)本場で味わうベトナム料理に期待していた。そのくらい、気持ちに余裕があった。
とはいえ、とても重く、暗いとさえ感じてしまうテーマを扱うプロジェクトだった。詳細は省くが、ベトナムの農村がかかえる課題に向き合うもので、その因果は、半世紀も前のベトナム戦争へと連なっている。滞在中は、いくつもの農家を訪ね、インタビューをおこなった。すでに10年近く続いてきたプロジェクトなので、フォローアップとしての意味もある。
スアンくんは、ほとんどベッドから動くことができない。あるとき、チーさんが彼のちいさなノートを見て、物語が綴られている(イラストも描かれている)のを見つけたのだという。それをきっかけに、出版社をさがし、イラストに少し手を入れて準備をすすめ、スアンくんの本が出版されることになった。身体は不自由なのだが、頭脳は明晰で、(チーさんの通訳を介して)話をしていると、その賢さと思考の深さが伝わってきた。ベトナムのちいさな村で暮らしていても、ネットワークでつながることはできる。あれから、ぼくは、スアンくんと「友だち」になった。
そして昨年、一昨年も同じプロジェクトに参加する機会があり、スアンくんの家を訪ねることができた。彼のベッドの傍らには、立派な書棚が置かれていた。2年目に再会したときにプレゼントした『うめめ』(梅佳代)という写真集も、ちゃんと書棚にあった。いわゆる日本の風景、それも美しい風景というよりは、ありふれた日常、ふだん着の日本の断片を知ってほしいと思った。ちょっとした、可笑しさもある。写真集を渡したその日に、メッセージが届いたことも覚えている。好奇心が旺盛で、彼の頭はいつも高速で回転しているようだった。
ぼくたちは、いまの状況を不自由に思っている。緊急事態宣言は解除されたが、多くのことがオンラインでおこなわれている。学生たちは、いまだにキャンパスに入ることが許されていない。フィールドワークやインタビューといった活動もままならず、動きを封じられている。
スアンくんは、ベッドの上で想像力をはばたかせて、いつも世界中を旅している。「おうち」で過ごす毎日に窮屈さを感じているぼくたちを見て、スアンくんはどう思うのだろう。もっともっとスケールの大きなことを考えなさいと、諭すように語るのだろうか。
スアンくんとは、たまにメッセンジャーでやりとりしていた。気まぐれに、渋谷に「チェックイン」して、「いま渋谷にいます」というお茶目なメッセージを送ってくれることもあった。遡ってみたら、最後にやりとりしたのは昨年の始め。新年のあいさつを交わしたときだった。以来、すっかりごぶさたしてしまった。
たしかに、遠く離れている。でも、チャンスがあれば、そしてその気にさえなれば、飛行機を乗り継いでスアンくんを訪ねることはできる。そう思っていた。今年の春も、うまく予定を調節できれば、また訪ねてみようと思っていた。だが、旅行どころではなくなってしまった。ベトナムまでの航空券の値段を思い出そうとして検索したら、「フライトが予定されていません」と表示された。予想していたこととはいえ、虚しさがこみ上げる。
ホーチミンからフーカットまでのフライトは、窓側の席にしよう。一面に広がる畑を眺めながら着陸する。そして、降り立つと、すぐさま熱気につつまれる。そのようすを想い浮かべた。