日曜日の夜に (2)

父と娘

「いただきます」「は〜い!こういうの、久々だね」

日曜日の夜。久々に家族が全員揃って食卓を囲んでいたので、母はご機嫌だった。今日のメインは冷しゃぶ。我が家の定番メニューのひとつだ。茹でた豚肉にゴマだれをたっぷりつけて頬張る。

食事中に喋るのは、主に妹と私だ。学校で起きた事件の話だとか、最近ハマっていることだとか、たわいもないことを話す。母と父がそれに相槌をうつ。22年間ずっと続いてきた、我が家の日常だ。


母の言うとおり、こうして4人揃って食べる夕食は久々だった。 “日常”だったはずのこの光景は、いつの間にか“非日常”になっていた。

原因は、私が家から片道2時間の場所にある大学へ通い始めたことにある。最初の頃は毎日家に帰っていたが、だんだんと家から学校までの移動が億劫になってきた。そして入学してから数ヶ月後、私は隙あらばキャンパス近くに住む友人の家に泊まるようになっていた。

その結果、家族と過ごす時間は減っていった。もちろん、家族への想いが減ったわけではない。ただ、時間を有効活用しているつもりだった。

そんな私を母は叱った。
家族と一緒に暮らすなら、ちゃんと帰ってきなさい、と。ひとりで暮らしていく責任も持たずに、自分勝手な行動をするな、ということらしい。私はそんな母の想いを受け取ったり、受け取らなかったりした。(そして卒業が迫ってきた今では、そのことを少し後悔したりしている。)

その一方で父は、何も言わなかった。
父は昔から、私を叱らない。友達とけんかをして泣いて帰ってきたときも、初めて恋人ができたときも、就職先を決めたときも、母が私とたくさん話し合おうとするのに対して、父は自分の意見をひとことも言わなかった。基本的に、娘たちのことには不干渉なのだ。


父が私たちに不干渉な理由は、わからなくもない。4人家族で、母・妹・私と3人の女に囲まれた、1人だけ男の父。父が遠慮するのは当然かもしれない。
年頃の女の子と父親の間で必ず起きるであろう『お風呂、いつまで一緒に入るの問題』に直面した時も、(世の中の女の子たちがそうするように)私が父を拒否したのではなく、父の方から距離をとってきた覚えがある。妹の時もそうだった。
父はいつも、私たちに拒絶される前に、自ら身を引くのだ。

昔はよく一緒に遊んでいた。写真は妹と一緒に、ズンビーニというゲームで遊んでいる様子

もともと父と同じ会社で働いていた母は、私が産まれた際に退職し、専業主婦となった。家に帰ると必ず母が待っていて、私たちの話を聞いてくれた。嬉しかったことも、悲しかったことも、悩みも、夢も、すべて母と共有した。

それに対して、私たちが父と一緒にいるのは、家族全員揃っての旅行や食事の時だけだった。特に年頃になってからは、父と2人きりで出かけることは滅多になかった。

そんなわけで、私は父とあまり話さない。同じ家に住んでいるし、いつでも話せるけれど、わざわざ話すようなこともない。大学生になってから、父との距離はますます遠くなった。


でも、私は父が好きだ。そして、きっと父も私のことが好きだと思う。
最近、私はその証拠をひとつ、発見した。引き出しの隅っこから出てきた、プリクラ手帳だ。

父はいつも同じ表情

私が3歳くらいの時、よく父と一緒にプリクラを撮った。まだプリクラがまちに出てきたばかりの頃で、今のように写真が加工されたり後から落書きができたりするようなものではなかった。ブースに入って何枚か撮影して少しの間待っていると、シール状になった小さな写真が出てくる…という感じの、素朴なものだった。

私はその写真を小さな手帳に貼って集めていた。この時はまだ妹が生まれる前で、私はひとりっ子だった。父と一緒にデパートへ遊びにいく度に、撮りたい!とせがんで2人でブースに入っていたことを、今でもぼんやりと覚えている。父が私を抱っこして、カメラに写る位置まで持ち上げてくれるのだ。

この手帳を発見した時、胸がキュッとつまって思わず泣きそうになった。父が幼い私と一緒に、楽しそうに笑っている様子が不思議で、とてつもなく嬉しかったのだ。私はこの人に育ててもらったのだ、と改めて実感する瞬間だった。
いつもの不干渉は、父なりの思いやりなのかもしれない。


この夏、私は父と一緒に旅行をすることになった。福井県にある父の実家へ行く。毎年、家族全員で行くのが我が家の恒例行事なのだが、今年は妹の大学受験があるため、母と妹が不参加になったのだ。父が運転する車で4日間、旅をする。

母と妹の不参加が決まったとき、父はまるで何も気にしていないかのようなそぶりでこう言った。

「2人だけになっちゃうけど、大丈夫?」