書と心

Sakurakoळ
exploring the power of place
4 min readAug 19, 2020

コロナウイルスの影響で字を書く機会が減った。大学の授業がオンライン化したことにより、全ての課題がデータ提出となり、授業内のメモを含めほとんどパソコンで文字を打っていた。また、祖母や親戚に定期的に送っていた手紙も感染を考慮して控え、主に電話でのやりとりとなった。

なんだかその日々が物足りなくなり、鉛筆を削って書道家の武田双雲さんの作品や古典の臨書をしてみた。振り返れば小学5年生から書道教室に通いはじめて早10年経った。とは言っても、大学生になってから学校との両立が上手くできず、しばらくお休みしていた。久々に鉛筆で字を書いて、字が下手になっていたことや想像以上の手と腕の疲労に驚いたが、それ以上に筆を持ちたい気持ちが込み上がってきた。熱が冷める前にと思い書道教室の先生のLINEを開くと、最後に連絡したのはちょうど1年前だったことに気づいた。

書道教室に通いはじめたきっかけは、小学5年生のとき、塾のテストの解答を字が汚すぎて読んでもらえず不正解にされたことだった。このままだと中学受験の志望校に合格できない、と母に半ば強制的に連れていかれた。

正直小学校の書道の授業は苦手だったし面倒だった。しかしいざ教室に行ってみると様々な面で魅力的な部分が沢山合った。家の近所にあり、書くために必要なものは全て教室で用意され、室内では犬が足元を歩いている。また、曜日固定もないため、自分の予定に合わせられる。なによりも先生が褒め上手教え上手で、初回の稽古なのに想像以上に形になった。筆を持つ角度を少し変えるだけでも、字の形のバランスに変化があることに驚き、もっと学んでみたいと感じた。いつのまにか私は毎回教室に行くことが楽しみになっていた。

書道はそのときの自分の姿がそのまま字にあらわれる。良いことがあったり体調が良かったりすると強くて太い字が書ける。逆に、気持ちが落ちていたり体調が悪かったりすると弱くて細い字になる。心に蓋をすることが出来ないからこそ、1文字1文字と対話をしている気持ちになる。特に中学高校生時代はモヤモヤした気持ちを抱えて教室に行っても、心を落ち着かせて字を書くことでモヤモヤが晴れていた。弱くて細い字もいつの間にか強くて太い字に変わっていく。そして書道教室はいつの間にかただ楽しいだけの場ではなく、自分自身と向き合い心を整理する第二の家のような場になっていた。

昨年の昇段試験の課題の1つ

稽古に行くために先生に連絡を取ろうと先生のニックネームを検索した。以前と変わらずニックネームで名前を登録しているのを見ただけでも懐かしかった。何から話せばいいのか迷い、しばらく考えてから文章を送ると、先生は5分足らずで「お久しぶりです。お元気そうでなによりです。いつでもお待ちしていますよ。」と返信をしてくださった。どうやら今は感染対策で生徒の時間をずらして稽古をしているらしい。以前のように午前では大人たちが黙々と書き、午後の早い時間は小学生がはしゃぎ、遅い時間は制服姿の中高生が休憩中に学校の話をしてくれる空間が今はないのかと思うと少し寂しくなったが、書道教室の存在があるだけで嬉しかった。また、犬も14歳になったがまだまだ元気だと教えてくださった。静かな午前中に、足元をちょこちょこ歩いていた姿を思い出した。

「それと、」とまた連絡が来た。ちょうど毛筆の昇段試験の時期だから検討してほしい、とのことだった。級位とは違い段位は1年に1回のチャンスで、段位が上がれば上がるほど何年も同じ段に挑戦しているレベルの高い方々であふれている。もちろん久しぶりに筆を持つため様子を見て受験するかを決めるが、突然の試練に武者震いしてしまった。教室に伺うのはまだ少し先だが、ステイホームで変化した生活を通し私の心身に変化があったのか、字にあらわれるのが今から楽しみだ。

--

--