未完成な地図。

Nao Kokaji
exploring the power of place
4 min readOct 10, 2018

井の頭線の長いコンコースからのぞくスクランブル交差点を見ながら、岡本太郎の「明日の神話」を横目に階段を下る。そこからは、その日の気分で右へ左へと進んでいく。

思い切って奥まで歩き、「アップリンク」で映画を観てもいいし、「丸善」で本を買ってどこかに入るのもいい。歩き疲れて一休みしたいときには、東急百貨店の地下に入っている「ミカドコーヒー」でプルーンの添えてあるモカソフトを食べてもいいし、「喫茶店トップ」でホットコーヒーとサーディーントーストを食べるのもいい。

お昼ご飯はというと、「鳥竹」で煙に燻されつつ、やきとり丼を食べる。それか、カレーライスを食べに「ムルギー」へ行く。もちろん、歩いていた途中で見つけたお店に入ることもある。

その時の気分で入るお店や、行く場所を変える。これが、わたしの渋谷の歩き方だ。渋谷は、わたしに、ふらっと歩いてみたり、何のあてもなくただ歩いてみる、という時間の過ごし方を教えてくれたまちだ。

小学生の頃、目黒に住んでいた。

休日は決まって家族とお散歩をした。お散歩コースというものがあって、たいていが、目黒から恵比寿を抜け、渋谷へ行ったり、原宿や明治神宮、表参道方面へ歩くというものだった。このお散歩コースは、いつも同じというわけでもなく、だいたいこの方向といった感じだ。だから、毎回、目的地があるわけではなく、いつもその時の流れで歩くお散歩だった。良さそうなお店があれば入るし、近くによく行くご飯屋さんがあればそこでご飯を食べる、なければ新しい店に入ってみる。そういうお散歩でよく行っていたのが渋谷だ。だから、わたしにとって渋谷は、かなり馴染み深いまちである。「渋谷」というワードを起点に思い出を掘り返すと、きりがないくらいにワッと出てくる。

井の頭線へ直接つながる山手線の改札を出て、モヤイ像の付近に降りるための階段の前に、豆乳のおやきやさん「Mr bean」がある。そこは昔、ベルギーワッフルを売る「ミスターワッフル」というお店だった。ワッフルを焼く甘い匂いがそこら中に漂っていて、たまたま前を通ったときには、両親におねだりをしていた。冬の寒い日に、湯気の出る焼きたてのふわふわサクサクのワッフルを立って食べるのは、この上ない幸せだった。でも、今はもうない。

東急プラザも散歩で寄ると嬉しくなる場所のひとつだった。魚売り場には名物のおじさんがいた。わたしが選んだ泡の吹くカニを蝋引きの茶色い袋に、おが屑を入れて、手渡してくれたことを覚えている。そのおじさんはいつも「はい、どうぞ〜はいどうぞ〜」と威勢のいい声でお魚を売っていた。幼い頃のわたしは、そのおじさんがいる魚売り場に行くのが大好きだった。地下には「渋谷市場」という場所があり、天井から蒸し器が吊り下がっていたり、竹のザルや、大きな中華鍋が所狭しと並んでいた。小さい時のわたしには、合羽橋よりもはるかに心の踊る空間だった。買い物を終えた後は、上の階へ上がり「渋谷ロゴスキー」というロシア料理のお店で具の詰まったピロシキと赤いボルシチを食べることもあった。でも、今はもうない。

これから渋谷のまちはどのように変化していくのだろう。小さい頃に好きだった場所はなくなりつつある。わたしの好きな渋谷のまちはなくなってしまうのだろうか。

渋谷の歩き方を話せるぐらいには渋谷のまちを歩いたことはあるのだが、正直なところ、わたしの頭の中の「渋谷」の地図は、未完成だ。わたしの中の「渋谷」は一向に完成されない。たぶん、これから先もずっと。

なくなっては、新しいものができる。

はじまりがあれば必ず終わりがあって、そしてその終わりにはまた必ず次のはじまりが待っている。そのはじまりを見たい。だから、また、渋谷のまちをふらっと歩く。

ふらっと歩く

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