机上の空想

Yoko Sasagawa
exploring the power of place
4 min readAug 18, 2020

2020年の春学期。新型コロナウイルス拡大の影響で大学の授業はオンライン化され、全授業を手元のMacBookを通して聞く形になった。リアルタイム配信形の授業もあれば、オンデマンド形式の授業もあり、長ければ1日6時間ほど、うちの机の上のパソコンに向き合うような日々が続いた。

オンライン授業それ自体に関しては賛否両論があったと思うけれど、私の受けたこの春学期の授業は、どれも楽しかった。楽しめるように、大学の先生や生徒がそれぞれ工夫をしてくれたからかもしれない。授業を聞きながらパソコンにメモをとって、課題を済ませて、やることを片付けていく。携帯やパソコンからいつでもどこでも繋がれるから、1限に遅刻する不安も少ない。始めは慣れずとも、日を追うごとにそのリズムが身体に刻まれ、馴染んでくる。けれど、そんな生活に慣れれば慣れるほど、どこか窮屈で物足りないような気持ちにもなった。

ちょうどそんな時期に、SA(スチューデント・アシスタント)として関わらせてもらっていた授業用に描いたイラストがある。

犬の散歩をする人、音楽を聴く人、荷物を運ぶ人に、猫をなでる人。自由な72人を描いた。

その授業では、日常のコミュニケーションについて「スリー・テン」や「ウィンター・サバイバル」といったコンセンサスゲームの実践を通して学ぶ。私が2年前に受講した際には、毎週50人ほどが教室に集まり、グループごとにゲーム課題に取り組んだ。

今学期は、それらの仕組みが全てオンライン化される事になり、「ベータ村」というオンライン上の架空の村に履修者が入居してくる設定で、授業が行われた。「ベータ村」には8つの家があり、家の中でやり取りするチャット機能や、村の住民全員が見られる掲示板のような機能がある。そこに住む入居者は「ハジ」や「ぺんた」「MMY」といった、現実世界とは異なる名前で住むルールになっており、1つ屋根の下に住みながらも、お互いの学年も顔も本名も分からない。少し「どうぶつの森」っぽいかもしれないが、アバターではなくアイコン表示で、住んでいるのもどうぶつでなく人間だ。住人は、家の名前やルールを決めたり、ゲーム課題に取り組む際のお互いの発言(文字情報)を頼りにコミュニケーションを取る。始めはお互いの自己紹介から始まったが、授業が進むにつれて、多くの家で交換日記が回り始めた。猫を飼って日誌に記録する家や、全員で飲食店を経営する家など詳細な設定が出来上がってきたり、日常の悩みを吐露する人も出てきたりして、「ただいま!」「おかえり〜」などの会話もあり、架空の村に帰る感覚も一部には生まれているようだった。日誌なので更新の頻度は高くないけれど、10秒に1度は誰かの情報が更新されていく絶え間ないSNSとは違う、間の愛おしいコミュニケーションがあった。

そんな授業の最終回のために、結局対面で会うことのできなかった住民たちが「ベータ村」で集う様子を描いた。住民同士のやり取りを振り返りながら、1人1人のイメージをイラストにする。例えば、「筋肉定食」さんってことはこの期間もトレーニングをとかするのかな…と名前から想像することもあれば、音楽や昼寝、チーズの種類など、自己紹介欄の趣味や好きな食べ物を参考にする場合もある。「パンケーキ」さんの好きな食べ物がチーズケーキと知ったときは、どちらを描こうか迷ったり、それぞれの洋服の色使いにも迷った。72人それぞれのベータ村でのその人らしさを考えるうちに、愛着が湧いてくる。終えたときには、3ヶ月分の文字情報から浮かびあがって来る印象がこんなにも濃いものかと驚くと同時に、どれももれなく個性的だと感じた。授業内の個人の物語を72通り考えることで、うちにいながらも人と人の繋がりを感じることができたのが、何よりも楽しかった。

もしかしたら、この状況下じゃなかったらただの作業になっていたかもしれないと、改めてあの時を振り返って思う。顔も本名も知らない人の発言を辿って、印象を11ピクセル×4.5ピクセルの枠組みの中で描き起こしていく。そんな座りっぱなしの空想は、うちにいながら繋がりを感じる1つの術だ。「またいつか」がより遠く感じてしまう時だからこそ、どこかで集う日の想像は絶やしたくないと思う。

またいつか、キャンパスで会いたい。

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