東京都写真美術館と僕

キムラマサヤ
exploring the power of place
4 min readJan 19, 2020

2013年3月のある日、僕は東京都写真美術館にいた。

僕は高校まで宮城で過ごした。希望の高校に合格した暁に、中学3年生から高校1年生に上がる春休みの間、東京へ一人で遊びに行く権利を両親から得た。仕事の関係で八王子に住んでいた姉の元へ一週間転がり込んだ。もちろん姉は仕事だったので、一人で東京を好き勝手徘徊した。とはいっても地方の中学3年生。東京での遊び方なんか知る由もなく(上京して4年が経つ今でもイマイチよくわからないが)、お金などないに等しかった。大体、中央線で都内に出るだけでも中学生にしては結構な額が持っていかれた。だからお金がないなりに、せっかくの東京一人旅行を充実させる他なかった。特に憧れていたわけではないが(そもそも人が多いのは苦手だ)、宮城にはない非日常が楽しかった。

どこでその情報を入手したのか今となっては不明だが、ふと東京都写真美術館に行こうと思った。今でこそカメラ好き・写真好きが高じて当たり前にそこに行くが、当時は野球が好きなどこにでもいる中学生で、写真のシャの字も頭にない。だから今僕はこの文章を書いていて、疑っているくらいだ。「あのときの僕が東京都写真美術館に?」と。でも実際に行っている。間違いない。だって、証票はないが、そこで買ったファイルがあるのだ。ロベール・ドアノーの『パリ市庁舎前のキス』のファイルを、なけなしのお金を使って買ったのだ。今となっては、中学3年の田舎ボーイが随分と、おませなというか大胆なというか、ファイルを買ったもんだと思う。少し笑えてしまう。

八王子を出発し、中央線から山手線に乗り換え、1時間ほど揺られて恵比寿まで着いた。駅に着き、美術館のあるガーデンプレイスまで行く道のりに、動く歩道があるのを見て、「なんだこれ。都会の人はずいぶんと怠惰なんだな」と思った。歩いていいのか、それとも立っていればいいのかわからなかったから、それを使わないで普通の歩道を歩いた記憶がある。
平日の昼下がりだったからか、美術館はがらんとしていたことを覚えている。一方で、その時展示されていた企画展についてはびっくりするほど記憶がない。おそらく興味がなかったのだと思う。案の定でしかない。だからだと思うが、もっぱら売店で時間を潰していた。売店にはヌルッとした日が差していたイメージが頭の中で浮かんでいる。そこで物色していた時に、上述のファイルを見つけ、普段使いできるし気に入り買ったというわけだ。ファイルを買って、恵比寿というまちに慣れていない僕は、浮き足立って、八王子にまっすぐ帰った。最寄り駅についた時、妙に落ち着いたことが懐かしい。

それから時は経ち、2016年の3月、僕は大学進学と共に上京した。こっちに来てから、しばらくは時間があったので、また美術館に行った。残念ながら、その際はリニューアル工事の真っ只中で開いていなかった。
それからさらに時は経ち、2020年1月。社会人目前となっている。東京の生活にも若干慣れてしまった。
今回この文章を書くにあたり、思い出を手繰り寄せながら、先日また東京都写真美術館に行ってきた。かつて買ったファイルは4,5年使っていたが、すっかりボロボロになってしまい捨ててしまった。今回を機に買い直そうと思って探したが、残念ながら同じものは売っていなかった。悔しいからなけなしのお金を使って、同じ写真のポストカードを買った。

なぜか節目節目で来ている東京都写真美術館には一方的に、そして勝手に僕は縁を感じている。7年前と今ではすっかりお互い変わっているようで、結局根幹のところは変わっていない気がする。

今でも鈍く明るい美術館のカフェにて

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