歩きながら

恩田陸の『夜のピクニック』という小説が好きだ。
中学生の頃に初めて手にしてから、何回も繰り返し読んだ。主人公たちの人間関係も羨ましく思ったが、何よりも「24時間をかけて友人たちとただただ歩く」というシチュエーションに憧れた。著者の恩田陸が通っていた高校には実際に「歩く会」という行事があったと聞いて、さらに憧れは強くなった。高校生になったら、私にもこんな青春が訪れるのだろうか…と胸をときめかせながらページをめくったものだ。


しかし残念ながら、私の高校生活にそんなイベントは訪れず、そのまま私は大学生になった。

私が進学した大学は、神奈川県の遠藤という地にあった。新しい土地、新しい出会い。私は急激に変化した環境のなかで自分を保つのに必死だった。学内でも有数の大きなサークルに入り、休み時間を共に過ごす友人もできたけれど、どこか寂しい気持ちがあった。他人との距離の詰め方がわからなかったのかもしれない。憧れのあのイベントに参加することになったのは、まさにそんな時だった。

きっかけは、大学で出会った友人Kの存在だった。彼は、恩田陸と同じ高校出身だったのだ。「とてもいい行事だったよ」と懐かしそうに話す彼に、私は嫉妬した。そこからトントン拍子で『遠藤版 夜のピクニック』の開催が決まった。

出発地点は私たちの通う大学のキャンパス。そこから徒歩で小田原駅を目指すことにした。参加者は、同じように大学に入学したばかりの同級生を中心に13名(呼びかけてみると、『夜のピクニック』ファンは意外とたくさんいた)。午後6時半に集合し、相模湾方面に向かう。2列に並んで歩く自分たちの様子が小学生の遠足のようで可笑しかった。途中で辻堂駅近くの湘南テラスモールに寄って夕食。「ここで食べすぎると後からつらくなる」というKからのアドバイスを守り、しらす丼をすこしだけ食べた。ここからは小田原方面に向かって、国道1号線をまっすぐに歩く。

空の色が徐々に濃くなり、すこしずつ足が痛くなってくる。しりとりやクイズの出し合いで暇を潰しながら、平坦な道をただただ歩く。夜の道は思っていたよりも静かだった。私たちの話し声と、爆速で通り過ぎるトラックのタイヤがアスファルトをこする音だけが聞こえる。

午前0時を越える頃には、汗を吸収したリュックサックが重く背中にのしかかり、足の裏には大きな水ぶくれができた。小田原駅はまだまだ遠い。いつの間にか、列は縦に長くなっていた。先ほどまで目の前にあった背中が、遠く小さく見える。私の隣にはKがいた。すぐ後ろには同級生のMとW。周りにいる人が少なくなったことで、道はさらに静かになった。

私たちは疲れと眠気を忘れるため、自然と饒舌になっていった。ただただ歩きながら、ゆっくりと話す。大学に進学しようと思った理由、不安に思っていること、将来の夢、どうしても好きなこと、どうしても嫌いなこと…。知り合って間もない彼らと自然に会話をしていることが不思議だった。夜の暗さによって開放的な気分になっていたからか、足の痛さのせいで細かいことがどうでもよくなっていたからか、単に暇だったからなのか。いろいろな要素が重なって、心地よいやりとりが生まれていた。
特に、同じ方向を向いて足を動かしながら話すのは、気恥ずかしさや緊張を紛らわしてくれた。「歩きながら」の効果で、私たちは気負わずに語り合い、打ち解けていったのだった。

途中で休憩を挟みながら歩くこと約5時間。辺りに潮の香りが漂っていた。私たちの左側に海が広がっているのが見える。空が白んできた。朝が来たのだ。気づくと、箱根駅伝の中継でよく見る道にでていた。あとちょっとだね、と励ましあいながら歩を進める。踏み込むたびに水ぶくれが痛むけれど、心の開放感の方が勝っていた。

さらに1時間ほど歩き、長い坂を越えると、目的地が見えた。満身創痍で電車に乗り、箱根湯本駅へ。温泉で汗を流して、蕎麦を食べて、床にへばりつくようにして寝た。爽快だった。


『遠藤版 夜のピクニック』から、3年。
あの時、国道1号線を共に歩いた彼らとは今でも度々集まって、気恥ずかしいことを語り合う仲である。来年の春になっても、10年後になっても、変わらずにいられるといい、と思う。

遠藤から小田原まで、しめて42キロメートル。私の人生にとって大切な42キロメートルだった。