気付いたら、それは

4年前の夏休み、見慣れぬ街に連れて行かれた。車無しではコンビニひとつ見つけるのにも徒歩30分はかかるような田舎町。ウェルズリーというその静かな街は、ボストンの中心地から電車でおよそ2時間ほどかかる上、その電車は2時間に1本しか来ないような場所だった。

留学という決断により訪れたこの街で、初めて1年間”ひとり”になった。文化を学ぶため、家族と一緒に数週間、韓国でホームステイをしたことはあったけれど、いわゆる学校の単位になるぐらいの真剣な滞在をしたことはなかった。最後まで一緒に付いてきてくれた父と離れるのは本当に心細く、普段そっけない態度を取っていたのが嘘のように、その日だけは父にそばにいて欲しかった。

楽しい時間は本当にあっという間に過ぎてしまい、いよいよアメリカに来た本当の理由である、1年間の留学が始まってしまった。この日から私は、初めて1年間”ひとり”を経験した。文化を学ぶため、家族と共に数週間ほど韓国でホームステイをしたことはあったけれど、いわゆる学校の単位になるレベルの、真剣な滞在をしたことはなかった。最後まで一緒に付いてきてくれた父と離れるのは本当に心細く、普段そっけない態度を取っていたのが嘘のように、その日だけは父と離れたくなかった。

父と別れ、寮での生活が始まった。高校1年生は必ず2人部屋でなければならず、1人の時間を大切にする私にとって、毎日誰かが同じ空間にいる、という2人部屋での生活は慣れるまでが非常に大変だった。日本人の学生は私を含め2人しかいない上、彼女とは学年が違ったため時々しか会うことはできなかった。それでもちょっとした息抜きとして、慣れ親しんだ日本語で話し合えるのは救いだった。高校の国際学級でネイティブスピーカーの先生から学んでいた英語を駆使しても、やはり現地の英語のスピードに最初から追いつくことはできなかった。日本の友達と電話をしたくても時差があり場所を選ばなければならない、ホームシックで思い切り泣きたくても1人になれない、大きな声で歌うこともできない。発散する方法を模索しているまま、冬になってもストレスは溜まる一方だった。

雪が降り積もる寂しげなキャンパス

留学先の寮には全部で6棟の建物があり、そのうち4棟は体育館の近くに固まっていた。ジョンストンと呼ばれるその棟はA〜Dまであり、私はBの住人だった。私が暮らすジョンストンBは2階建てで、その上下のフロアにはトイレと併設してあるシャワーがあった。シャワーは1フロアに2個ずつ、合計4個のシャワーがあった。シャワーだけのもの、バスタブにシャワーが付いているものの2種類があり、何故だか皆してシャワーのみの空間を取り合った。それぞれの空間の外と中を仕切るものは、淡いベージュの防水カーテンだけだった。

風呂場の床はトイレの延長にあるだけあって、ベランダ用のスリッパを履かなければ鳥肌が立ってしまうような、決して綺麗とは言えないものだった。日本にあるそれとは全然違う、建てつけも悪く水の出も悪いそんなシャワー。普段ならこんなシャワーに耐え切れず早く出たいと思うはずなのに、ついつい長居をしてしまうのは、緊張と不安で凝り固まった私の心をほぐすように、じんわりと体の隅々まで染み渡る気がしていたからだろうか。

異世界に来てしまった私を唯一癒してくれる、恐らく各国共通であろう日常へのきっかけを作ってくれるもの、それがシャワーだった。誰と話そうにも英語が必須で、心休まる瞬間など一切ない、常に学ぶ姿勢でピンと気を張りつめていなければならなかった日々に、それは一瞬の安らぎをくれた。たった一人で、携帯などを手放して、自分自身と本気で向き合える時間。そんな時間の大切さを、初めて実感した瞬間だった。

あれから4年、大学生になって、ふとあの時を思い出すことがある。学校の近くで一人暮らしをしている今も、ひとりであることに変わりはないけれど、”ひとり”ではなくなった。寮にあったそれよりも、明るくて、あたたかみがあって、使い勝手のいい今のシャワーは、あの時ほど私を心から癒してくれることはない。けれど、日常へと導くシャワーはある意味で、留学や大学進学で突然変わっていった私の数々の日常を対比させてくれる、日常を映す鏡になってくれているのかもしれない。

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