氷点下の夜に

来月、5年ぶりにフィンランドを訪れる。フィンランドには3年近く住んだ。久しぶりに行きたい場所がたくさんあるし、何より会いたい人たちの顔が思い浮かぶ。今となっては楽しかったことばかり思い出すが、早く日本に帰りたいと嘆いた日々もあった。フィンランドには、研究者である夫の仕事のために引っ越した。私は勤めていた会社を辞めて、何のゆかりもない土地に、何の目的も持たずに向かった。引っ越してすぐ、現地の人びとが「最悪の月」と呼ぶ11月になった。そう呼ばれる理由はじきにわかった。

フィンランドは国土の1/4が北極圏内にあり、人びとの暮らしは厳しい気候とともにある。10月中旬頃から冬に突入し、4月頃まで平均気温は氷点下になる。冬の間は、日照時間が極端に短くなる。12月に入り雪が降るようになれば、雪の白さが多少の明るさを生み出してくれるが、11月は雪は少なく、ひたすら暗い時間が続く。引っ越して最初の冬は厳しい気候に打ちのめされ、逃げるように友人がいるイタリアに旅をした。

2009年11月のある日の午後3時頃のヘルシンキ

季節とともにダイナミックに変化する気候、圧倒的な自然の力に押しつぶされることなく暮らすにはどうしたらよいのか。友人の紹介で出会ったKarinとRune夫妻から、私たちは多くのことを教わった。彼らは、首都ヘルシンキから長距離バスで1時間半ほどの、人口1万6千人の小さな町で暮らしている。週末になると、フィンランド湾に浮かぶ島の小さなコテージで過ごすのが彼らの習慣だ。海に囲まれた森の中にひっそりと佇むコテージは、ふたりが何年もかけて自分たちの手で作ったものだ。ここには水道がないので、雨水を貯めて使う。飲料水は、町の自宅から持参する。トイレは「バイオトイレ」と呼ばれるコンポストのような仕組みで作られたもので、用を足したら土やコケなどをかぶせる。電気は引いてあるが、ここではほとんど使わない。明かりが必要な時はキャンドルに火を灯し、寒い時は暖炉に火を入れる。野菜は自分たちの畑で収穫し、魚は近所の漁師から直接買う。

KarinとRuneのコテージ

私たちは季節ごとにこのコテージを訪れ、KarinとRuneと過ごした。夏には、森の中でブルーベリーやリンゴンベリーを摘んだり、キノコ狩りをする。ベリーやキノコには、食べられるものと食べられないものがある。それを見分ける方法を、彼らは幼い頃から学んできたので、迷うことはほとんどない。それでも判別がつかないものを見つけたら、持ち帰り、図鑑で調べる。秋には、果物でジャムやドライフルーツを作ったり、じゃがいもを大量に収穫して地下の貯蔵庫に蓄える。暖炉用の薪割りをして、長い冬を迎えるための準備をする。冬には深く積もった雪の上でスキーを楽しみ、お腹がすいたらジャムを使ったケーキを食べる。長い冬の終わりには、屋根からぶら下がる分厚い氷柱を、日の光が溶かしていく様子を見て春の訪れを喜ぶ。

初めてこのコテージに泊めてもらった初冬の日のことを、今でもはっきりと思い出す。昼間は森の中を歩き回ったり、ボートで近くの孤島を見に行ったりして過ごした。夕方になると冷え込んできたので、Runeが暖炉に火を入れてくれた。夕飯を食べ終わった頃、1日の汗を流したいと思った。しかし、ここにはシャワーがない。水道がないのだから当然だ。どうするのかと思ったら、就寝前、Karinが水着に着替え、コテージの前の海に飛び込んだ。気温はすでに氷点下だったが、海水はそれほど冷たくないのだという。コテージのある島を囲むバルト海は、塩分が少なく淡水に近い。海に浸かっても、肌はべたつかないらしい。私たちには、寒空の下、海に飛び込む勇気はなかった。貯水タンクの水で洗面し、ウェットティッシュで1日の汗を拭き、眠りについた。長い年月をかけて自然の力を学び、森の中で暮らす術を身につけてきたKarinとRuneに圧倒された夜だった。

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