注文が難しい料理店

Sakiko
exploring the power of place
4 min readOct 10, 2018

一人で入るのは躊躇してしまいそうなアンダーグランド感たっぷりなビルの二階、階段を登って、種々雑多なグラフィティーやステッカーで覆い尽くされた扉の前に立つ。本当にこの場所で間違いないだろうか、でもスパイスの香りがするからここだろう、と思い切って扉を開けた。友達から渋谷に美味しいカレーがあるとおすすめされ、アルバイトの昼休憩に立ち寄ることにしたのだ。

開店直後の平日に来たからか、まだ他の客はいなかった。後から職場の先輩と合流するつもりだったので、広めのソファー席を確保する。店内に入ってから席に着くまで「いらっしゃいませ」の声もなければ、お店の人がどこにいるのかさえいまいち分からない。気づいていないのだろうか、そわそわした気持ちになりながら席に座り、周りを見渡すと入り口付近に「オーダー方式かわりました。初めてでない方も必ずお読みください。」と書かれた黒板が置いてある(この黒板に書かれた内容がとても面白い。)どうやら、ここは接客しない上にさまざまなルールがあるようだ。とにかく注文から返却までセルフサービスの学食方式とのこと。

お店を紹介してくれた友達から、ここの独特な態度については聞いていた。彼女が行った際はカウンターでの接客を行っていたらしい。話を聞くかぎり、店主はある意味で今どきというか、愛想がいいわけでもなく、むしろ「接客」の概念をひっくり返すようなしょっぱい対応だったらしい。たしかに一見さんには少し厳しくて、常連が特別扱いしてもらえそうなお店だ。

お店に入って、怖いような、恥ずかしいような、楽しみなような、そんな気持ちになるのは久しぶりだった。「注文の仕方が分からない」こんなにもしょうもないことにいちいち緊張してしまうのは、「注文」という行為に対する自分の経験を過信し始めているからだろうか。店の雰囲気は全く違うものの、小学生の時に初めて入ったファーストフードチェーン店のサブウェイでも同じ気持ちを経験した。オーダースタイルを全く知らずに入ったため、パン生地から選ぶことに驚きながらも、後ろに列があったため焦りながら注文した覚えがある。あの頃は、どんなお店にも慎重に入った、最初はいつも緊張した。

年齢を重ねても、初めて渋谷区にある緑道沿いのフグレンという人気のカフェに入った時は西洋の人がマックは開きながら作業していたり、オシャレすぎて冴えない人は寄せ付けないような雰囲気に緊張した。その近くにあるカフェ ロストロにはメニューさえなく、自分の好みの珈琲をバリスタに頼むようなオーダー方式をとっていて、ここでも少し心構えした覚えがある。コーヒー好きの祖母と出かけた時、彼女は「Sですか?Mですか?」でさえ何を聞かれているのか分からないことがあった。「トールでよろしいですか」なんて聞かれてたらきっと帰ってしまう。

カフェ ロストロの珈琲とクッキー

常に変化している渋谷の街は「マニュアル思考」に対抗するように次々と枠から外れたスタイルを導入する。入り口が見つからない、わかりにくい横文字のメニュー、独特な注文ルール…初見では入りづらい、そして注文の取り方がよく分からないお店が増えている。だから、その「対マニュアル思考」のお店が今度はトレンドに、それこそ「マニュアル」になりつつあるようにも感じる。さらに一周回り、今度は「老舗の喫茶店」が雑誌で特集されたりしている。この街のマニュアルは常に塗り替えられている。私の中の「渋谷」もその都度、更新しなければならないのだろうか。それとも、元々渋谷にはマニュアルなんて存在しないのかもしれない。私はそんな気分屋な渋谷に何度来ても馴染むことができない、だからまた散歩をして、新しいお店との出会いを探したり、一息ついたりする。

そうこう思いふけっていると、先輩が登場し、それに続きカレーも出てきた。そのカレーが、あら、なんと美味しいこと。お店のルールに対する緊張は口の中で溶けていった。食後のチャイの飲む頃には、また来ようと思っている始末。結局、難しい注文よりも、食欲が勝ってしまうのだ。

例のお店のカレープレートとチャイ

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