渋谷の一面

Gaku Makino
exploring the power of place
4 min readFeb 19, 2019

渋谷の一面

都会に出ると、人が溢れかえっているのにも関わらず、どこか寂しさを感じてしまう。こんなにもたくさん人がいるのに、街を歩いていても、電車に乗っていても、自分に目をくれる人はいなく、自分も他人を気にしない。他人から声をかけられる瞬間を頑張って探してみても、居酒屋のキャッチに勧誘される時か、服屋で服を選んでいる時くらいしか思いつかない。お前が自意識過剰であるせいだと言われてしまえば、何も言い返すことができないが、大都会東京で僕はたまにこの寂しさを感じることがある。

ある仕事の調査で、街の人の地元意識をインタビュー調査していた。被調査者のその男性は、関西から上京してきたエンジニアだった。彼は言った。「自分の田舎では、通学電車に乗る時でも乗客は大体顔見知りだった。かわいいあの娘もいつものおじさんも名前は知らなくても、彼らがいない朝はどこか心配しながら電車に乗っていた。だが、東京に来てみると、寿司詰めの電車内、人で溢れかえりそうなホームのせいか、他者への興味がなくなり、他人を気遣っている余裕も同時になくなった。」と。僕は東京出身で、彼は関西の田舎で育ってきたにも関わらず、抱える思いは似ているものだった。このような寂しさを感じる人は、僕以外にも多くいるのではなかろうか。

この”寂しい都会”というのは、僕が大学の研究で半年間フィールドワークし続けてきた街である、渋谷にももちろん該当するだろう。該当するどころか、渋谷はまさに都会オブ都会だ。駅を中心に谷となっているこの街は、雨水だけでなく、人も谷底の駅周辺に集められるような構造をも持つ。渋谷を調査すると決まった時、モノやヒトに溢れた街だから楽しそうに思えた反面、先述した寂しさの存在は少し気がかりだった。だが、僕の心配は結果的に裏切られることになる。

夜のとある渋谷

僕は大学の活動で、頻繁に地方都市に足を運ぶ。先日出雲に行った時、街を歩いているだけで歩いていたおばあさんに声をかけられた。そして、朝ごはんを食べられる場所をそのおばあちゃんに教えてもらった。その時、こんなこと東京じゃほぼないよなぁ、やっぱ地方にくると人のフレンドリィさが違うと思った。このような人の温かさを感じることが、渋谷で起こるはずがないと思っていた。

渋谷でのフィールドワークでは、たまたま歩いていて見つけただけのパン屋とカフェを調査対象に決めて、通い続けていた。チェーン店が跋扈する渋谷で、双方の店は40年営業し続けてきた。お世辞にも見た目は、人気があるイケてるお店のような感じでもなく、行列ができる店のような感じでもない。そんな店がなぜ40年も競争率の高い渋谷に店を構えてこられたのか。店に通い続けていくうちに、その秘訣が判明してきた。二つのお店で態度や方法は違えども、人の心を魅了する接客の仕方と儲けにとらわれないおもてなしが双方に共通する秘訣だった。

さらっと出てくるカフェラテ

しっかりとした儲けを出さずして、渋谷でやっていける訳ないじゃないかと思うのはごく自然なことである。だが、儲けに固執しなくとも、人の心をつかんでいる彼らの店から、客が消えることはない。過度な儲けを出すことより、自分たちのペースでギリギリやっていけるくらいの売り上げを維持し続ける。そして、わざとらしくない自然なおもてなしを常に忘れない。これが、彼らが40年も渋谷に店を構えてきた秘訣だと、店に通い続けたことからわかった。鍵を忘れて近所の子を厨房に入れて、パン作りを見せながら話をする、お店に来た学生にヤクルトをあげる、近所の独り身の老人のために夜の食堂をやろうとする。どれも、やった所で売り上げが上がることは見込めない。だが、彼らは当たり前のようにそうする。彼らの周りで動いているのは、ヒトでもモノでもカネではなく、人情である。まさか渋谷の真ん中でこんな光景を目にするとは思わなかった。

僕の知らなかった渋谷がそこにはあった。

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