灯りの届かない夜

Marina Yoshizawa
exploring the power of place
4 min readAug 18, 2017

今からちょうど1年前、私はコンゴ民主共和国を訪れた。

私は、当時所属していたゼミの学生や教員と共に、コンゴの首都キンシャサから車で1時間ほどのところにある、キンボンド地区に滞在していた。キンボンド地区は、コンゴにおいては都会から程遠くない郊外で、比較的治安もよく、落ち着いた地域であった。騒がしくて雑多なキンシャサに比べ、私たちの生活圏は車通りもそこまで多くなく、教会からは一日中誰かが歌う声が聞こえ、常に遠くのどこからか、陽気な音楽が聞こえるような、ゆったりとした時間の流れるのどかな場所だった。良き田舎という表現がぴったりの場所だ。

コンゴ民主共和国 (外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/congomin/index.html

コンゴでの生活が始まり少し経ったところで、思いの外過ごしやすい環境が整えられていたことに驚いた。よそ者として現地に飛び込むということを覚悟し、かなり身構えていた私としては、コンゴという土地にいるのにも関わらず、どことなくアットホームな歓迎ムードが漂っていることに、正直拍子抜けしてしまった。ゼミを通して長年の関係性があってこそのおもてなしであることは理解していたのだが、だんだんとその過ごしやすさに慣れてしまっていた。

近所に住む子どもたちと

ある日、買い物をするために一度普段の生活圏から出ることがあった。仲の良い現地の同世代の男の子2人(ふたりの名前の頭文字をとって、EとJとする)と、ゼミの友達と私の4人で、車で15分ほどの距離にある大きな市場に買い物に行った。タクシーを降りると、今まで見ていたものとはまったく違う景色が広がっていた。道路は無秩序に人で溢れ、車は今にも人を轢きそうな勢いで走っていた。人々の声や車のクラクションは耳を劈くような騒音となり、市場を歩いているだけで気が遠くなりそうだった。私たちは当たり前だが、浮いていた。私たちを見る人々の目はどこか攻撃的で、挑発してきたり、何やらよくわからない罵声を浴びせてくる人もいた。コンゴに来て、初めて自分が本当によそ者であることを意識した瞬間だった。

買い物の途中で、気づいたら陽が沈んでしまっていた。コンゴでは、電気の供給が安定しているわけではない。その日の市場にもあまり灯りはなく、灯りと言えるものは、ものすごい速さで走る車のヘッドライトや、人でごった返しているバーの弱々しい電気だけだった。暗くなり、皆店じまいをしはじめたことで、あたりの騒音はより一層大きく、人通りも激しくなっていた。

暗すぎて、前すらよく見えない。おまけに人々はあらゆる方向に向かって歩くものだから、途中で人に揉まれてはぐれそうになった。前を歩くEを見失わないよう、ひたすら歩いた。無事、帰りのタクシーを捕まえることができ、メゾン(私たちが生活しているアパートのこと)まで帰ることができたのだが、コンゴ滞在中にこれほどに不安を感じたことはなかった。

メゾンに到着すると、みんな夜ご飯を食べていた。椅子を円く並べてみんな揃ってご飯を食べるのが、私たちの夕食のスタイルだった。市場での騒音が耳に残る中、知っている顔が並ぶ輪の中に入ってごはんをいただいた。いつも通りのみんなを見て、安心して思わず涙が溢れそうになった。その時、私たちが生活していた環境は、常に現地の方が気を張って守ってくれていたからこそ成り立っていたものであると、身を以て感じた。あまりにも過ごしやすい環境に甘えてしまっていて、当たり前のことを忘れかけていた。

一般的にはあまり安全でないと言われている土地で、安心した生活を送れているということは、どこかで当たり前の生活を犠牲にして守ってくれている人がいたのだ。もしかしたら灯りのつかない夜のあいだも、気を張って守ってくれていたのかもしれない。

--

--