父の誕生日

Marina Yoshizawa
exploring the power of place
4 min readDec 19, 2017

生まれて20年経つが、私は一度も地元を離れたことがない。

20年間、東京のこじんまりとしたのどかな市に住んでいる。地元には、色々な思い出が散らばっている。

つい先日、通っていた市内の小学校の近くに用があり、昔歩いていた通学路を通ることがあった。小学校の通学路を歩くのは、7、8年ぶりであった。懐かしさを感じながら歩いていると、ある看板が目に飛び込んだ。

手作り感溢れるシンプルな看板

私が小学5年生くらいの時に、住宅街に突如としてオープンしたうどん屋さんだ。オープン当初は、普通の民家に看板がかかっていただけであったのに、今では壁の色も変わり、少しだけ豪華になっていた。けれど、見覚えのあるこの看板は、変わっていなかった。白地の板に達筆で「かもkyu」と書かれている、シンプルでありながらインパクトのある看板だ。その看板を見た時、家族とのある思い出が蘇った。

小学生の頃、週末は家族4人で外食をすることが多かった。

かもkyuがオープンした当初、そのユーモラスな名前が家族の間で話題になっていた。うどんが好きな父は度々「かもkyuに行こう」と提案していたものの、小学生の私と弟がうどんに魅力を感じることはなく、いつも地元のハンバーグ屋かお寿司屋に行っていた。両親はいつも私と弟が行きたいところに連れて行ってくれてた。

家族の誕生日の時も、決まって外食をしていた。我が家には、誕生日の人が行きたいお店に行くというルールがあった。その年の父の誕生日は、父の念願叶って、かもkyuに行くことになった。もっと豪勢なものを食べることができると期待していた私は、「なんで誕生日にうどんなの?」と、父の選択に少しだけ不満を持っていたことを覚えている。

店内は、民家をリノベーションしたような造りになっており、おばあちゃんの家のような温かさがあった。うどんの味はあまり覚えていないけれど、父が喜んでいたことは鮮明に覚えている。もしかしたら父は、かもkyuの温かさに、自分の実家の温かさを重ねていたのかもしれない。それ以来、かもkyuは父のお気に入り店になり、その次の年も、父の誕生日はかもkyuでお祝いをした。

中学に進学すると、部活が忙しく、家族で外食に出かけることはほとんどなくなってしまった。いつしか誕生日も、家でケーキを食べるだけになった。高校に進学するとさらに部活が忙しくなり、家族4人で集まって食卓を囲むことも少なくなってしまった。

かもkyuでの思い出を懐かしく感じるとともに、年を重ねるにつれて、家族とのコミュニケーションの場が減ってきてしまっていることに気づいてしまった。

思い返せば、家族4人で食事をする機会が減った高校生くらいの頃から、特に父との距離が離れてしまったように感じる。

何か決定的な理由があったわけではない。いわゆる思春期の娘と父親の難しい関係といったところだろうか。気づいたらお互いに口数が減り、二人で話す時間はほぼなくなっていた。大学生となった今は、さらに距離が遠くなってしまった。自宅から遠い大学に通っているため、家に帰る時間が遅くなった。一緒に住んでいるはずなのに、一緒に食事をすることはおろか、3日や4日顔を合わせないこともよくある。それもあってか、いざ同じ空間に居合わせた時も、何を話したら良いのかわからなくなってしまった。何だか二人の間に少し気まずい空気が流れるようになってしまったのだ。

父との関係性の変化に気づいたのは、最近のことではない。変化に気づいて以来、距離を縮めようと試みてきた。けれど、なぜか緊張してしまう。昔のように、気軽に「買い物に行こう。」だとか、「どこか連れてって。」と言えなくなってしまった。なんだか今更、気恥ずかしく感じてしまう。

私と父はきっと少し性格が似ている。二人ともどこか臆病で、不器用なのだ。だからこそ今まで、変わってしまった関係性からお互いに一歩踏み出すことができなかったのかもしれない。

父がお気に入りだった「かもkyu」は、今では地元の名店として賑わっているらしい。今月の15日は、父の誕生日だ。今年で50歳を迎える。いつもはケーキでお祝いするけれど、今年は、昔のように父の好きなうどんを食べに行ってもいいかもしれない。

昔話に花を咲かせながら、ゆっくりとお互いに歩み寄っていきたい。

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