特別扱いされるお金とポチ袋

Koichiro Yasuda
exploring the power of place
4 min readAug 19, 2020

僕は、お金の使い方が下手くそだとよく言われる。一ヶ月で稼いだお金を綺麗に一ヶ月で使い切ってしまうからだ。綺麗に使い切ってしまえるから、ある意味お金の使い方がうまいのかもしれない。

そんな僕も、おじいちゃんやおばあちゃんからもらったポチ袋に入ったお金は、簡単に使うことができない。もしポチ袋なしの、お札そのままでもらっていたら、財布の中で他のお札と区別がつかなくなりすぐに使ってしまうだろう。お札の番号を覚えている場合は、区別がつくかもしれないが、僕はしたことがない。

ポチ袋によって他のお札と区別がついているからこそ、コンビニで飲み物を買うような、軽い買い物には使うことができない。だからと言って、大きな買い物の足しにするような使い方もあまりしたくない。会計の時に、他のお金と混ざってしまうのが嫌なのかもしれない。

僕はポチ袋の存在に、財布の中のお金の使い道を左右されている。

そう考えると僕たちは、所持しているお金に対してどのお金がなんのお金か、あまり区別をしない。銀行という存在があり、バイトなどで働いて稼いだお金は、自身の銀行口座に振り込まれることがほとんどである。そしてその口座には、勤務先など様々な場所、人からお金が入ってきて、ATMによって様々な場所からお金が出て行く。現在ではクレジットカードや電子マネーが普及して、そのお金がどこからきたお金か、そのお金を何に使ったかという情報はより一層わからなくなった。いや、一切わからなくなった。実際に、クレジットカードや電子マネーを使う時に、そのようなことを気にしたことはない。気にするのは、今月どれくらい使ったか、残高はいくらかなどである。

ATMで下ろした場合でも、自分の頭の中には残高の内訳があり、お金を下ろす時、その内訳の中から計算して下ろすかもしれないが、それは頭の中で考えているだけで、実際のところいろんなお金が混ざっている。仮に、口座の残高が15万だった場合、先月の給料5万と貯金が10万だから合わせて15万円あるな、という内訳に対して、15万のうちの貯金10万は使わずに先月分の5万から3万下ろそうなどと考える。

僕は、ポチ袋に入ったお金を丁寧に使いたい。 そんな僕が、ポチ袋に入ったお金を一体何に使っているのかと言えば、そのほとんどを本に使っている。もともと本が好きな僕は(本を読むことも好きだけど、本そのものが好き)、今まで自分のお金で本を買ってきた。しかし、本が好きで本を買うと言っても、自身の所持しているお金には限界があるため、欲しい本でも「買う本」と「買わない本」を選ぶことになる。買う本の選定基準としては、今すぐに読みたい、または表紙やタイトルに一目惚れをしたかである。そして、その選定基準に漏れた本は買わない本ということになる。しかし、買わない本の中にも、今の自分には理解できなさそうだけど読んでみたい本、そもそも高くて買えない本がある。僕は、この二つの理由で買わなかった本に、ポチ袋のお金を使っている。

ではなぜ、「買う本」に分類される本に、なぜポチ袋のお金を使わないのかというと、お小遣いがなくとも買うはずの本を、ポチ袋のお金で買ってしまうと、なんだかもったいない気持ちになってしまうからである。ポチ袋の存在がなくても「買う本」であれば、ポチ袋のお金でなく自分のお金で買いたい。

僕のポチ袋に対する「特別扱い」からもわかるように、ポチ袋は僕にとって特別なものである。

さらに、この特別扱いはポチ袋だけでなく、その中にあるお札にも適用される。ここがポチ袋の面白いところで、ポチ袋を渡す人はその中身を渡しており、受け取る人も中身を受け取っている。そのはずが、僕は中身を渡すためのものに特別さを感じている。そして、そんな特別なものを無駄遣いするまいと、その中身であるお金まで特別扱いしている。

バイトのお給料もポチ袋でもらうことができれば、お会計の時におつりをポチ袋で渡してもらえたら、少しはお金の使い方がまともになるのに。

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