町田のうち

Gaku Makino
exploring the power of place
5 min readJul 19, 2020

先日、大学1年生から3年間住んでいた町田の家を退去して、実家に戻った。大学生活の3年間を過ごした街である町田。今はまだ退去して1ヶ月しか経っていないからか、すぐに戻りたいとは思わないし、懐かしさもあまり感じていない。けれども、数年後に思い返した時、その青春時代の思い出が甦ってきて、あの頃のあの場所に戻りたくなるかもしれない。数年先の思い出を振り返る時のために、3年間の町田での思い出をここに残しておこうと思う。

大学1年生の初夏、父親が町田の家を契約してきた。父は単身赴任で以前は横浜の方に住んでいたが、僕が湘南の大学に入学することになったことから、湘南に通いやすい町田で二人暮らしをすることになった。父親が契約してきた2DKの家は、僕の歳よりも古い築年数で、家に帰るたびに古い匂いがした。近くにあるスーパー三和は、母曰く「場末感が漂うスーパー」だったが、学生の自分にとってはリーズナブルで一日二回通う日も多いほどのお気に入りだった。

場末のスーパー

大家さんのキャラが強いマンションだった。マンションの入り口では、大家さんが大事に育てている「謎の観葉植物たち」がいつも僕の帰りを待っていてくれた。国民の祝日には、入り口に日本国旗が飾る、大家さんは不思議なこだわりと趣味を持つ人だったが、とても温かさがある人だった。僕が落とした洗濯物は、毎回丁寧に共用スペースにハンガーにかけられて吊るされていたし、新型コロナウイルスが流行した際には、共用スペースにアルコールジェルと置き手紙が設置されていた。住民の方々は家に帰ってからすぐ手を洗うからそのジェルは使わなかったみたいだけど、僕は大家さんの好意に甘えようと思い、帰宅時に毎回アルコールジェルを使って、さらに部屋に戻ってすぐ手を洗っていた。贅沢な話である。

大家さんの気遣いに感動したインスタのストーリー

町田という街自体も非常にユニークな人と店に溢れ、利便性に優れていた。ルミネにモディ、マルイにミーナ、東急ツインズと、デパートは使い切れないほど乱立している。その中でも特に、町田のマルイとモディに小遣いを注ぎ込んだせいで、僕のエポスカードはいつの間にか赤色から金色に進化していた。マルイのキタムラで、友達がiPhoneを直すバイトをしていたのも思い出す。その友達の彼女が「町田は小麦の街」と言ってしまうほど、町田はラーメン激戦区でもあった。旨いラーメン屋がこれほどコンパクトにまとまっている駅はなかなかない気がする。自宅から一番近かったラーメン屋は学生証を見せると、炊き込みご飯がついてきた。そこで毎度のように学生証を見せていたら、いつの日か学生証を見せなくても良いほどに常連になっていた。ラーメン以外にも、仲見世商店街にあるアサノのカツカレーを食べるために、朝ごはんを抜いて、朝一に店先に並ぶこともよくあった。住む前から町田には怖い人がたくさんいると噂で聞いていた。噂通りかわからないが、ヤンキーやEXILEみたいな若者で繁華街は溢れかえっている。彼らと深い交流を持つことはなかったが、大学の研究でキャッチの生態観察をしたり、町田在住の先輩に誘われて祭りに参加した時に、彼らと一緒に神輿を担いだりしたこともある。

アサノのカレー、スープカレーっぽい

人生で初めてのバイトは、町田ではなく、隣の駅の相模大野のピザ屋だった(町田で知り合いに会うのを避けたかった)。強面の店長は、自分がこれまであったことがないタイプの人だったが、人情味が溢れていた。同僚の巨大な韓国人キムくんと店長と一緒に、相模大野の飲み屋に行ったこともあった。学校に通えるようになったら、大学卒業する前に店長に会いにいきたい。

新型コロナウイルスで父親の仕事先が変わり、町田を退去する時は急に訪れた。突然の終わりにもかかわらず、町田でやり残したことはもうなかった。たくさんの人との出会い、食との出会い、モノとの出会いが町田にはあった。大学生という多感な時期に、カオスだけど便利な、ディープなこの街を使い倒すことができて本当に良かったと思っている。

来年から社会人になる。次に住む場所はどこにしようか。

僕にとっての、次の”町田”を探している。

自室から3年間眺め続けた景色(パノラマ)

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