真夜中の緑のマーク
最後にブエノス・アイレスを訪れたのは、今から7年前のことだ。地球儀を回してみるとよくわかるが、ブエノス・アイレスは、日本のちょうど反対側あたりに位置するアルゼンチンの首都だ。カナダの航空会社の格安フライトで行った時は、成田を出発して現地に着くまでに、乗り継ぎ時間を含めて36時間かかった。果てしなく遠いその街のことが、日本で話題になることはほとんどない。どんな街か、想像すらできない人も多いだろう。アルゼンチンはラテン・アメリカ諸国の中で、最もヨーロッパ的な文化、街並みの国として知られている。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イタリア、スペインを中心としたヨーロッパ系の人びとの移住が盛んに行われたことが背景にある。街を歩いていると、あちこちでカフェを見かける。多くの人がコーヒーを片手に、イタリア語のようなイントネーションのスペイン語と身振り手振りを交えて、おしゃべりに夢中になっている。

亡くなった祖母は、ブエノス・アイレスで25年間暮らした。その縁で、私も小学生の頃に1年間住んだ。その後、大学時代の交換留学やフィールドワーク、社会人になってからの長期の旅行でも何度も滞在したことがある。私が遥かかなたのあの街を、繰り返し訪れるのには理由がある。経済的にはとても安定しているとは言えないし、日本と比べて圧倒的に治安が悪い。しかし、そうした負の側面を忘れさせるほど、人びとがチャーミングなのだ。スーパーでレジの順番待ちをしていても、レストランで隣り合わせても、すぐに話しかけてくる。タクシーに乗った時など、降りる頃には運転手のおじさんの半生についてざっくり知ることができてしまう。

魅力あふれる街の人びとに加えて、私がブエノス・アイレスを訪れる最大の理由は、「家族」がいることだ。祖母が単身でアルゼンチンに渡った1950年代から、私たち一家を「家族」と呼び、大切にしてくれている人たちがいる。祖母と同時期に日本からアルゼンチンに移住し、「日系人」としてブエノス・アイレスに根を張り、代々生活してきた一家だ。私たちがブエノス・アイレスに滞在する時は、必ず彼らの家に泊まり一緒に過ごすし、彼らが日本に来たら私たちの家に泊まり一緒に過ごす。私は特に、同世代のみよちゃんと親しくしてきた。小学生の時に初めてブエノス・アイレスを訪れて以来、みよちゃんとは多くのことを共有してきた。といっても、同じ空間に居合わせた時間はそう長くはない。飛行機の旅で36時間かかる距離で隔てられた私たちは、互いの暮らす街を訪れた時にだけ、一時的に充実した時間をともに過ごす。空港での別れの時は、次にいつ会えるかわからない寂しさと不安で、毎回涙が止まらなくなる。
会えない期間、私たちをつないできたのは、さまざまなメディアだ。1990年代以降、手紙、eメール、Skype、Messengerと使うメディアが変わり、コミュニケーションの仕方も、離れることの意味も変わってきた。最後にブエノス・アイレスを訪れた時、私たちは空港で、初めて涙を流すことなく別れた。Messengerを使い始めた年だ。私たちの間には、12時間の時差がある。私が夜を迎える頃、みよちゃんは目覚める。彼女は日中、ずっとMessengerをログインしたままにする。眠れない時、真夜中に不意に起きてしまった時、Messengerを開くと、いつもみよちゃんが「オンライン」であることを示す緑のマークがついている。私は、それを見てほっとする。共有したい話題がなければ、メッセージは送らない。ただ、夜になれば必ずそこにいる、そう確認できるだけで安心するのだ。

