知れば知るほど
僕の地元の茨城県ひたちなか市というところは、ROCK IN JAPAN FESTIVAL(RIJF)という音楽フェスが開催される。そんな土地柄もあってか、音楽フェスには馴染みがあり、そのフェスだけではなく、他の色々なフェスに参加することが趣味になっていった。
音楽フェスは主に、夏の野外でやることが多い。RIJFも夏の野外で行っており、毎年お盆のためというよりは、このために地元に帰っている。ただ、年末の音楽フェスも多い。冬フェスと呼ばれ、大きな展示場を貸し切って行う。僕も高校生の頃は、COWNTDOWN JAPAN(CDJ)というフェスに遊びに行っていたが、ここ数年は不参加だった。昨年末もおとなしく実家に帰ろうと思っていたら、たまたま31日のチケットが入手できたので、向かうことにしたのである。
僕が参戦したCDJという音楽フェスは、国内でも最大級のフェスである。幕張メッセを全館使うほどである。ステージは5つあり、常にどこかしらで誰かが演奏を繰り広げている状態だ。そうなると、観たいアーティストが当然ながら被ってくる。物理的にすべてのアーティストを見ることは不可能である。時間が被っているものに関しては、どうにかして自分を納得させ、片方のアーティストに絞るのである。
思い返せば、中学生の頃に初めて音楽フェスに参加した時は、「あのアーティストが見たい!」というお目当てのアーティストは1組だけであった。歳を重ね、いろいろなアーティストを聞けば聞くほど、観たいアーティストも増える。
ある意味当然であり、そのフェスに出ている中で、知らないアーティストの方が少なくなってくる。「体が2つに分裂したらいいのに…」と思いつつも、どちらか一方を選ばざるを得ない。見たいけど泣く泣く諦めたアーティストが、どんな曲を演奏したのかとセットリストを見たり、友達に聞いたりして、「あぁ、やっぱりこっちのアーティストを聞いていたほうが良かったな」となることもある。
知れば知るほど色々な選択肢があることが分かり、知れば知るほど色々な選択を迫られる。それは音楽フェスに留まらず、私たちの職業から今日のご飯にいたるまで、多岐にわたる。インターネットが普及した今日このごろ、大体の事は検索すれば手に入るし、SNSで人づてに情報を手に入れることもできる。
その中には、きっと知らなければ良かったことも多々あるかもしれない。「知らなければ今のままで満足していたのに…」という経験は、一度や二度ではない。インターネットは僕達を大海に放り投げてくれるシロモノでだ。
年を取るにつれ、僕らの知識量は増える。ITが進化するにつれ、受け取る情報量も増える。耳寄りな情報もあれば、耳が痛くなる情報もあるだろう。多きを知ることが、決して幸せと直結するとは限らない。大海を知らなかった井の中の蛙の方が、多分幸せだったろう。
それでも、僕は多くを知ることを望む。幸せになれるかは分からない。それでも、豊かにはなれるだろう。多くの選択肢を持って悩むということは、ある面では面倒くさいと思いつつも、ある面では贅沢である。権力者の戒めとしての「足るを知る」という言葉を、権力者でもなんでもない僕たちが使うのは、まだ早すぎる。
「どっちのバンドを見ようかな…」と迷っていたが、急にお腹が空いてきた。贅沢な悩みだったが、結局ご飯を食べることにした。そう決めた彼が、CDJに出店している約50店舗のどの飲食店で食べればいいのかという、さらに贅沢な悩みに直面するのは、その数分後のことであった。