私たちは、回遊する

Ayuna Fujita
exploring the power of place
4 min readDec 19, 2019

小学生のとき、演技の稽古のために週に2回原宿に通っていた。当時は横浜市の鶴見に住んでいたため、鶴見駅から京浜東北線で品川まで行き、山手線に乗り換えて原宿に着くという経路だった。頻繁に同じ区間を乗車していたから、駅名も順番も完璧に覚えていた。恵比寿はそのうちのひとつである。目黒の次で、渋谷の手前。目黒は当時追いかけていたEXILEの事務所が中目黒にあることからなんとなく親近感を抱いていて、渋谷は言うまでもなく有名な地名だ。小学生の私にとっては、恵比寿はその2つに挟まれたよくわからない駅だった。しかし今思えば、私はこの駅を目印にしていた。私のなかで渋谷がひとつの区切りだったから、その一歩手前の停車駅という目印だ。良い例が思い浮かばないが、「もうすぐ渋谷に着くよ」という〈リマインド〉のような意味をもつ存在だった。だからか、眠りに落ちてしまっていても恵比寿駅に停まる頃に目が覚めることが多かった。

都内の路線図は、JR、私鉄も含め多くの路線が入り組んでいて非常に複雑だ。それでも恵比寿から東西南北それぞれへ線路を辿っていくと、私が知っている地名同士の近さに驚いた。恵比寿から15分歩けば中目黒駅に着くし、代官山なんて目と鼻の先だ。ひとつひとつの地名が有名だからか、それぞれが遠いところにあるという印象があった。ここまで複雑に多くの線路が敷かれていると、ほとんどの場所に電車で行くことができる。移動経路や観光スケジュールをたてていた今までの自分を思い出すと、行動が鉄道に大きく影響されていることに気づいた。例えば、「今日は自由が丘で用事があるから東横線沿いの駅で友だちと夕食を食べよう」や「線路沿いの施設から探してみよう」だ。移動をするのだから鉄道を軸に考えるのは仕方ないのかもしれない。しかし、もし電車という移動手段がなくて、自転車や車などの自分でより自由に動き回れる手段しかなかったら、私たちはどのような「移動」をしていたのだろう。

私が鉄道について考えるきっかけとなったのは、「恵方詣」と「初詣」の話だ。「恵方詣」とは言葉の通り、元日にその年の恵方にあたる社寺にお参りすることをいう。明治時代の頃まで行われていた「恵方詣」は、1872年の鉄道の登場によりだんだんと衰退していく。当時、気候によって乗客数が左右されることに問題を感じた鉄道会社が、元日に電車に乗って社寺へお参りすることを盛んにプロモーションしたのだ。「恵方詣」は毎年恵方が変わるため、それに左右されない「初詣」を推奨し、乗客数の安定化を見込んだ。私も大晦日には除夜の鐘をつくために電車に乗って寺に行くし、寒くてあまり外出する気にならない冬には良いプロモーションだったのかもしれない。しかし、今や国民の行事となっている「初詣」が鉄道会社の戦略によって広まったものだと知ると、私たちの行動がどこか支配されているような気持ちになる。

鉄道は、今となっては多くの人々にとって欠かせない交通手段となっている。数分に1本のペースで動いていて様々な場所へ私たちを運んでくれるから、利便性も高い。それに他の交通手段と比べて費用が安く済む。しかし、敷かれたレールの上ばかりを動いていたら私たちの行動がどんどん均質化していってしまうような気がする。立地を想像するときにも、私が恵比寿を目黒駅と渋谷駅の間だとしたように、路線図から考えがちだ。立地を把握する手段として有効ではあるが、それ以外の方法で把握できたら行動の範囲も変わるのではないだろうか。次に遠出をする機会があったら、路線に縛られない予定を計画してみたい。

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