笑うサーファー

Sean
exploring the power of place
Dec 19, 2020

約470km、これは大阪と湘南の距離である。私は今年の4月から、進学のために地元大阪を離れて神奈川県の湘南で生活している。

僕が引っ越したのは、ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大によって社会が大混乱している最中だった。初めての一人暮らしに期待しながら引っ越したのは良いものの外にも出られず、人とさえ触れ合えない生活が待っていた。冷静に考えると、学校に通わない学生が学校の近くで一人暮らしをしているという意味が分からない状況だったと思う。僕には信頼できる先輩や友人を作る機会さえ与えられず、頼れる家族もいない中でただ何もない時間だけが僕のそばにいた。自分が生きているのかがわからなくなっていた僕の心の拠り所となったのは、大阪にいる友人達だった。本来各々が新たなコミュニティに属し、そこでの活動を中心に行うはずだが今年は新たな出会いが失われ、それぞれが今までに築いた人間関係に依存するしかなかった。僕は大阪にいる友人に日替わりで電話をかけ、彼らに誰もいないことの寂しさを埋めてもらって生を実感していた。地元への愛着などまるでなかった僕だったが、いつしか大阪が自分のアイデンティティとなっていた。

僕はなぜ大阪が好きなのだろうかと考えた時、僕の頭に真っ先に浮かんだのは大阪人の笑いに対しての姿勢だった。大阪人は笑いの為なら自らの心体を犠牲にするし、学校でも家庭でも必ずお笑いの話題で盛り上がる。土曜日13時から始まるのよしもと新喜劇をリアルタイムで見るためにダッシュで家に帰り、冬になるとテレビの前で正座しながらM1グランプリを鑑賞する。次の日、学校の至る所で全くのお笑い素人であるはずの学生が「あいつはおもんなかった、俺は優勝認めへんぞ」などと偉そうに批評をしているのもよく聞いた。オチない話をした者はその場で発言権が奪われ、すべらない話をした者には鳴り止まない笑い声が与えられる。こうしたお笑い文化の中で育った僕や僕の友人達は、大阪人は面白くあるべきと思っている。この文化があったからこそ、大阪は居心地が良かった。辛い時も悲しい時も、僕は大阪の文化であるお笑いに幾度となく救われてきた。

湘南に引っ越した日、母が運転していたレンタカーのドアを開けるとほのかに香る海風に懐かしさ感じた。僕はサーファーである父の影響を受け、小学生の頃にサーフィンと出会った。大阪にはサーフィンのできる海が無いため、よく父の運転で和歌山や三重、愛知まで足を伸ばしていた。

湘南の街には海を感じる。スーパーの買い物客はみんなビーチサンダルを履いているし、駐輪場に停められたほとんどの自転車やバイクにサーフボードを運ぶための器具が取り付けられている。海に入っている人は顔見知りが多く、会うと挨拶を交わすし、飲食店の店員さんや引越し業者の人とも「また、海であいましょう」という会話になった。このように、湘南に住む人々には海やサーフィンという文化を感じることができる。この文化は僕の生活に彩りを与えてくれた。東西に続く砂浜から見える夕陽、晴れた日に見える富士山、海の上で開かれる今週の波の報告会議、必死にパドルして波を捕まえる感覚。僕は湘南で、海とサーフィンによって生きる意味を再発見することができた。

大阪のお笑いと湘南のサーフィン。私が生きた二つの都市には、確立された文化がある。そこに住む人々の核となっているそれらは、僕が大阪との間に体験したように、近すぎると感じられなくなってしまうことがある。離れて初めて有難さに気付くのは人との距離だけではなく、その土地やそこに根付く文化も同じだった。大阪の文化の素晴らしさに18年経ってやっと気が付けた今、これから近くなっていくであろう湘南の文化への感謝を忘れてはならないと強く思う。そうして、毎日笑顔でサーフィンを楽しめたら、僕にとってそれ以上の幸せはない。

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