腐れ縁な悪友

腐れ縁ー離れようとしても離れられない悪縁。好ましくないが切るに切れない関係を批判的あるいは自嘲的にいう。

腐れ縁と呼べるほどに切れない縁がある。人と人との別れは、節目の時期に訪れることが多い。学生の場合は卒業、社会人は転職のタイミングが代表的かもしれない。卒業以来会っていない友人は、卒業後に会った友達の何倍もいる。これは誰しもが同じ経験をしたことがあるだろう。その友人と僕は、家が特別に近所なわけでもなく、同じ学校に通ったことすらない。にもかかわらず、私たちの関係性は10年以上続いている。一度離れたこともあったが、気づいた時には一緒にいるようになっていた。離れようにも離れられない、幼い頃からの悪友について語る。

彼との出会いは小学生の時に通っていた中学受験の学習塾に遡る。彼は僕が入塾する二、三ヶ月前からそこに通っていた。僕が塾に通い始めたのは小学四年の時、当時10歳だった。同じ塾に通っていたとはいえ、僕たちは違うクラスだった。僕は下のクラスで、彼は上のクラス。塾を卒業するまで同じクラスになることはなかった。そんな二人が仲良くなるきっかけが果たしてどこにあるのだろうか。それは塾の行き帰りの道中にあった。僕たちは塾にバスで通っていた。僕はほぼ始点から終点まで市の境を跨いで、40分くらいの行程で塾に通っていた。彼は、そのルートの最後10分くらいの停留所から乗ってきていた。たった10分ほどのバスに乗る時間でも気付いたら二人は仲良くなっていた。きっかけはよく覚えていないが、塾の帰り道、二人で塾の下の会にある書店で漫画を立ち読みしたり、買ったりするようになっていた。今振り返れば、学校帰りにデートするカップルのようである。ある日、彼に勧められた『NARUTO』をこっそり大人買いしていたのが母にバレて、ひどく叱られたこともあった。中学受験という共通の敵を目の前に、僕たちの関係性は構築されていった。だが、これは共通の目的がなくなったときに彼との関係性が終了することを意味していた。中学への進学を機に、彼と会うことも連絡することもなくなった。

彼との関係性が復活するのはそれから三年後になる。私は中学三年時に、学校の仲間とバンドを組んでいた。自分たちで曲を練習し、出演できるライブを探していた。高校一年のある日、あるライブに出演することになった。三年前から会っていなかった彼も、別のバンドでそのライブに出演していた。そこが久しぶりの再会だった。それから、私のバンドのボーカルが抜けたため、何の気なしに彼を誘って、気づいたら彼はバンドに入っていた。小学生時代の塾の友達は、四年後に“バンドメンバー”になった。それから、私たちはスタジオで曲を練習し、メンバーの家やファミレスで夜通し曲を作るという日々に明け暮れていた。二人は進学校に通っていたこともあり、バンドは高校三年の春に中断することになり、それから受験勉強に専念した。バンドが終わってからも、再び大学受験という共通の目的を前にして、一緒に受験勉強をする機会が多かった。

ボーカルなのにドラムを叩く彼(2018年)

受験が終わってからも、バンドでライブをしたり、曲を作ったりすることがあり、私たちの関係性は続いていた。大学生になってからも、一年に四回くらいは会っている。気づけば互いの母親の仲が良くなっていたり、彼の父親が大学の大先輩で可愛がってもらっていたりするため、今でも彼の家に泊まりにいかせてもらう。

私たちは毎年一緒に初詣をする。小学生の時から変わらず、彼の家の近所の天満宮(学問の神、菅原道真を祀る神社)へ初詣に行くことが恒例になっている。最近六年間で一緒に初詣をしなかった年はないほどだ。中学受験も大学受験も、ここの菅原道真様のおかげで乗り越えられたのかもしれない。

2021年の初詣

一緒の学校に通ったことはなく、家も近所ではないのにもかかわらず、10年以上の腐れ縁の友人。あるときは受験生として、あるときはバンドメンバーとして二人の関係性は変わってきた。私は来年から社会人になる。彼は医学生なので、来年も学生のままだ。立場や環境が変わっていく中で、二人の関係性がどう変わるのか。自分のことなのに興味深く思えてしまうのがいかにも不思議である。

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