さらさらはしていた。だが、

Gaku Makino
exploring the power of place
4 min readJun 10, 2018

夏が近づいてきたので、 “さらさら”と肌触りの良いベッドカバーを買った。さらさら。日差しが暑くなってきた近頃聞くと、とても心地良い気分になる。

国語辞典で、「さらさら」を引いてみる。すると、「ものが軽く触れ合って、かすかに立てる音。」や「物事がつかえずに捗る様。」と軽やかな表現がたくさん出て来る。どの言葉もすっきりしていて、爽やかさを感じさせる表現ばかりだ。

今日、僕が話すことのテーマは、もちろん「さらさら」について。だけど、上のような、テクスチュアの話ではない。ここまでの話を気にしながら、ここからの文章を読んで欲しい。

さて、本題に入るが、私は大学生の男性である。

大学入学直後、志望校に合格したこともあり、今の自分ならなんでもできる気がしていた。けれど、春学期が終わり、目に見える形で生み出したものはなかった。どことなく、物足りなさを感じていた。子供の時から、周りの大人に「時間の余裕があるうちに海外にいくといい。自分の中の何かが壊れたり、すごい発見があるかもしれないから。」とよく言われていた。これしかない。今の僕ならなんでもできる。そう思っていた僕は、この夏海外で過ごすことを決めた。

結局、2017年の夏は約1ヶ月、日本の外で生活していた。8月上旬、一人でアムステルダムとドイツのルール地方を周った。8月下旬から9月の半ばまで、友達と一緒にアフリカの3カ国を旅行した。高校まで海外で過ごしていた経験はなく、英語も高校で習ったレベルの語学力。十分とは言えない状況で、僕は初めての海外旅行に挑んだ。

Germany,Kassel,バックパック

ヨーロッパでは、大麻を吸った後(と思われる)黒人に絡まれたり、謎のラテン語(多分スペインかイタリアの)を話す同部屋のおじさんに怒られたりしながらも、なんとか2週間ほど過ごしていた。ハプニングだけではなく、同部屋の日本に来るという台湾人大学生に、お祭りのチケットをぴあで取ってあげて、仲良くなったこともあった。

仲間とともに行ったアフリカでは、南アフリカを目指しながら、途中東アフリカのエチオピアや南のボツワナも旅した。途上国のエチオピアでは、アフリカで唯一の列強に支配されなかった国ということもあり、独自に発達した文化(特に食事)に戸惑った。特に、「アフリカの雑巾」の異名を持つ、国民食であるインジェラという発酵食品は、想像を絶するほどの不味さだった。目的地南アフリカでは、野生のペンギンやキリンを見たり、喜望峰に行ったりして、珍しい体験をたくさんした。他にも、世界一治安が悪いとされるヨハネスブルグのスラムでぼったくられそうになったり、UBERの運転手と喧嘩してその場で降ろされたりもした。

南アフリカ共和国,ヨハネスブルスク,ソウェトのスラム

この慌ただしい夏が終わり、日本に帰国した僕はもやもやしていた。一言で言うならば、僕の中の“さらさらさ”が、このもやもやの原因だった。外国に行けば、びっくりするほどのカルチャーショックを受けるはずだ。そして、自分の価値観が大きく崩れるだろうと思っていた。この期待が僕に、海外で一夏を過ごすことを決めさせた。確かに、面白い経験はあった。けれども、大きく価値観が崩れた実感はなかった。つまり、夏が終わった後の僕の心には、何かがひっかかった感触はなかった。自分があまりにも“さらさら”しすぎていたのだ。 “さらさら”の意味には、「物事がつかえずに捗る様。」とある。その通り、“さらさらな”僕の心には、何もつっかえていなかった。

“さらさら”と聞けば、爽やかで軽やかなポジティブイメージが思い浮かぶ。昨年の夏の僕は、“さらさら”だった。だけど、それは爽やかでもなんでもなかった。何も引っかかっていないだけだった。もちろん、“さらさら”していることは、爽やかで軽やかで心地よいことが多い。でも、それは虚しさにもつながる。先夏の僕には、“さらさら”が納得いかなかった。

“さらさら”と爽やかであることはとてもいい。

矛盾しているかもしれない。

けど、もう少し粘っていて、とげとげしている“さらさらさ”も欲しい。

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