進むために、置いていく

Sho Okawa
exploring the power of place
4 min readFeb 10, 2018

荷づくりは、いろんな場面で訪れる。旅行に出かける前や引越しの準備だけでなく、毎朝の通勤のために鞄に物を詰めることや、終業式の日に持ち帰る荷物をランドセルに詰め込む作業も、ある種の荷づくりだ。つまり荷づくりとは、ある場所からある場所へ、持っていく荷物を決める作業のことを指す。そして、持っていくものを決めるということは、「持っていかないもの」を決めることでもある。ぼくたちは移動をするとき、次に進む場所に持っていくものを丁寧に選別し、必要のないものや、すでに役割を終えたものをその場に置いて、次の場所へと移動する。ぼくは、この3月に学生を終え、4月からいわゆる社会人になる。そしてこれは、ぼくが学生から社会人へと進む時期の、「荷づくり」の話だ。

ぼくは修士研究において、「新宿ゴールデン街に住む 小説を用いたエスノグラフィーの試み」と題した研究を2年間行なってきた。新宿ゴールデン街のある店で働きながらフィールドワークを行い、街で働く人達や、毎週店に来る常連、はじめて日本に来た外国人観光客、ゴールデン街に来なければ出会えなかったであろう色んな人たちとお酒を飲みながら、世間話や街の噂話、ときには自分のこれからの進路を語り合う、そんな日々を1年間繰り返した。ぼくの研究成果は、研究題目にもあるように、一冊の小説になった。1年間のフィールドワークで起こった大小様々な出来事を時系列にまとめ、一つ一つの物語を丁寧に綴っていった。

この小説は、ぼくが所属する研究会が毎年行っている展覧会で展示された。これはぼくの二年間の成果報告であるため、ぼくと面識のない様々な人たちも小説を手に取り、中には丁寧に感想文を送ってくれる人もいた。全三日間行われた展覧会は、ぼくの大学院生としての最後の仕事だった。100冊あった小説も、色んな人たちの手元に渡った。けれど、まだ20冊ほど、ぼくの手元に残っていた。売れ残ったのではなく、これは、ぼくが意図的に残しておいた20冊だ。

この1週間、合間を見つけては新宿ゴールデン街へと通い、お世話になったいろんな人たちへと、小説を手渡した。仲の良い店のママや、朝まで一緒に飲んだお客さん、ぼくの働く店のスタッフたち。ぼくはみんなの連絡先を知らなかったので、いるかどうかはわからないまま街に出かけて行っては、その小説の登場人物たちを探して、小説を手渡した。

小説を受け取った時のリアクションは、人によって様々だ。ある人は、自分が出ていることに照れてはにかみながら読んでくれたり、自分の描かれ方に「悪そうなやつに見えるじゃん」と冗談を飛ばしたり。そして、春から広島へと引っ越すことが決まっているある常連は、次のように話してくれた。

「これ、東京での一番の思い出だわ。広島行ったらみんなに自慢するね。このバー、私がいつも行っていたバーなんだよ、って。」

ぼくが店に滞在していたのは、1年間。短いか長いかはわからないけれど、少なくともぼくよりずっと前から店に通っている人たちがいっぱいいる。彼女もそんな常連の一人だった。そんな彼女が、「東京での一番の思い出」と言ってくれたことが、2年間の研究を、というより、街でのぼくのあり方が認められたようで、嬉しかった。

そうして一冊一冊を手渡し、ぼくの手元にある小説が10冊を切ったとき、ぼくは突然、自分の大学院生活が終わりに近づいていることを実感した。自分の二年間の研究生活、フィールドワーク生活に終わりを告げて、次のステージに移動するための、荷づくり。ぼくが次の場所へと移動するためには、二年間の成果である小説をあるべき場所に収めることが、とても大事なことだったのだ。

旅行へ行くとき、ぼくたちは必要なものを選別し、それ以外のものをスーツケースの外に置いてでかけていく。けれど、旅行が終わって、家に帰ってくれば、そこには持っていかなかったいろんなものが、いつものように出迎えてくれる。そしてそのいつもの風景に囲まれながら、旅の荷解きをする。仕事に疲れて街に寄ったとき、ぼくの書いた小説と、街の人たちが、土産話を聞くように、仕事の愚痴でも聞いてくれるのだと思う。

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Sho Okawa
exploring the power of place

大学院生2年目。新宿ゴールデン街で働いています。