見えないキリトリ線

Sayako Mogami
exploring the power of place
4 min readOct 19, 2017

・きりとりせん【切り取り線・切取り線】

切り離す部分を示した線。多くは点線で示す。(大辞林第三版より)ー ー

ー ー ー ー ー ✂︎キリトリー ー ー ー ー

それは点線とハサミのアイコンを添えるだけで見た人に対し、そこに切って離すという動きを誘導することができる。途切れ途切れの等間隔に配置された線からぶつ切りのイメージを浮かべるからか、日常生活からくる慣れだろうか、点線を見るだけでいつの間にか私たちはそこから離れるというサインを感じ取れるようになっていた。お菓子のパッケージ、郵便物、封筒など閉じられた物の開閉部がある紙類にそれらは多く見ることができるが、切って離すためのサインとはなにも紙という物のみに当てはまることではない。目に見えないもの、人と人とのコミュニケーションにも当てはまることではないだろうか。

例えば「別れのサイン」である。友人と食事に出かけた際、帰りの電車の時間が近づいているため帰宅したいという意思を伝える必要があるシチュエーションはよくあるだろう。だが話が盛り上がっているときや相手が目上の人のときなど、「もう帰らなきゃ」という直接的な言葉だけでは突き放した印象を与えてしまう、となかなか言い出せない状況がある。そんなとき、私たちはごくごく自然に時計や携帯電話をチラッと見たり、財布に手を伸ばしてみたり、または「お腹いっぱいだね」などとつぶやいてみたり、直接帰るという言葉を用いることはせずに食事の場の終了をにおわせるサインを送る。「じゃあ、そろそろ行こうか」という場の終わりを引き出すためにしばしば間接的な誘導の振る舞いをすることがあるのだ。

これは対人関係における時間の見えない”キリトリ線”とは言えないだろうか。

また、直接顔を合わせることのないオンライン上のやり取りの中でもキリトリ線は頻繁に用いられる。LINE上で連絡を取っている最中で、そろそろ会話の終わりが見えたときに相手に対して、あなたの言いたいことは伝わっているよ、一連の会話はここで終わらせていいよ、という言葉にはしないメッセージを提示するための「終わりの明示、マーキング」としてLINEのスタンプが利用されることがある。このときスタンプは会話上での終わりを誘導するキリトリ線としての役目があると考えられる。

スタンプはシンプルな言葉やイラストのみの方が解釈の方法が多様で使いやすい。

上記の例で用いた視線や振る舞いのキリトリ線も、LINEスタンプのキリトリ線にも共通するのはどちらも本当に伝えたいメッセージは言葉として発さずに、それぞれ見えないキリトリ線を使いこなすことによって互いの意図を理解し合っているという点である。そして、このキリトリ線が正しく使用されるためには正しいタイミングで線を引くことができる伝え手と、そのメッセージを敏感に感知できる受け手の両方が必要とされているのだ。また驚くべきことに対面であってもLINEであったとしてもこれらの察し合いというのは誰かに教えられて初めて習得するものではなく、自然と生活をしていく中で知らず知らずの間に暗黙の了解として会得していくのである。しばしば日本人は空気を読むことに敏感だと言われるが、キリトリ線と空気にはどちらも共通してその場その瞬間に流れる雰囲気や状況に応じる力が求められる。いずれにせよ、私たちは言葉として伝えることよりも振る舞いやサインから情報を感じ取らせる、察することの方が得意であり、また慣れていることには違いない。

こうして無数に張り巡らされたキリトリ線を見つけてはひとつひとつ丁寧にカットしていく。よくよく考えてみると器用で、それでいてなんとも回りくどいやり取りだ。果たして見えないキリトリ線を使いこなす私たちはコミュニケーションが得意なのか、それとも不得意なのだろうか。

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