前の席の女の子の髪の毛

大学で授業を受けていると、PCのディスプレイが急に遮られた。前に座っている女性の後ろ髪だった。
窓際に座っているから、早くも初夏の風が吹き込み、彼女の髪の毛の匂いと混ざり、甘くとも爽やかな香りが僕の鼻をくすぐる。
触りたいけど、触ってしまっては"木村真清メンバー"なので、そこはぐっと抑える。
でも触れてみないと恋は始まらないかもしれないし、触れてみても気持ち悪がられるかもしれない。もちろん結果は100%後者だ。


「触れる」という言葉には大きく分けて2つの意味があると思っています。1つ目が文字通り「手で触れる」の意味。もう1つが、手元の辞書には載っていないのですが、「体験する」のような意味。月並みですが、どちらの意味でも、触れることって大事だと思います。

僕はフィルム写真が好きです。それはプリントした後の紙として存在する写真が欠かせないです。現像した後のネガをスキャンして、データ化した写真でもいいのですが、それだけでは物足りなさが僕には残ります。印画紙(フィルムのネガを実物の写真に変える用紙)にプリントして自分でつくってみることが大事だと思います。なぜならそうしないと触れられないからです。

写真1.ネガをスキャンしての写真
写真2.大全紙にプリントしての写真

上手い下手はさておき(下手なのは間違いない)、印象が違いませんか。少なくとも僕には印象が違います。実際に物に触れてみると何が違うのか。印画紙に光沢感があるのか、ないのか。大きさはどれくらいなのか。…などなど。ちなみに補足しておくと、印画紙の中でも最大である大全紙というのは、60cm×50cmくらいあります。だから実物を見ると大きいです。その一方実際に分からない人も大勢いると思います。ただフィルム写真を体験してみると分かるはず。
しかし、まあ、なにも僕はここでフィルム写真のプリントの重要性を謳いたいわけではありません。こういうことって日常にありませんか。つまり、触れてみないと分からないことってありませんか。
でもその一方で、さっきの写真しかり、触れてみても分からない、触れてみてもダメだったってこともあると思います。いや、もしかすると、日常においてはこっちの方が多いかもしれない。やってみてもよくわからなかったと思うことです。

何だか僕は、「触れてみないと」と「触れてみたところで」の間隙に生きているような気がします。

期待と諦め。

たぶん「とりあえずやってみる信者」は「触れてみないと」を信仰していて、「触れてみたところで」と弱音を吐く人間は嫌いかと思います。
けど期待を持って立ち向かったのにダメだったのは心に刺さります。「どうせ触れてみてもダメなのは分かっているけど」という気持ちで挑む。期待値を下げて、後から上げる。諦めは心を楽にしてくれます。
その折衷案が「どうせダメなんだけど、とりあえずやってみないと分からないから、一応やっとこうぜ」です。でもこれが本当の「とりあえずやってみる」なのかもしれないですね。

触発、触診、触覚、触媒。
どの言葉も触れた後の反応があっての言葉と思います。だから、繰り返しにはなりますが、とりあえず触れてみると何かしらの反応が起こります。それが「とりあえずやってみる」の価値であり、意義なのだと思います。それが良い感触ならもちろんのこと、たとえ悪い感触だとしても。

だから僕はとりあえずやってみます。


そんなことをぼんやり考えていたら、前に座っている女の子が体を前に起こし、彼女の髪の毛がディスプレイから消える。僕はふわふわしているところから現実に戻される。