誇らしげに

Ayako Moribe
exploring the power of place
4 min readNov 19, 2019

2013年4月から2018年3月まで、私は社会人生活を送っていた。

わずか5年間の社会人生活ではあったものの、この5年間がなかったら、良くも悪くも今のような自分はいなかったと言えるくらい、中身の濃い日々だったと思っている。新卒という華やかな幕開けから、少しずつ泥臭くなっていった社会人生活の中心には、「恵比寿」というまちがあった。

生まれ育ちが横浜で、高校まで地元の公立校に通っていた私は、大学も神奈川県藤沢市にあったため、都内へ日常的に足を運ぶことがなかった。東京はそこまで遠くないにもかかわらず、いざ出かけるとなると、行き慣れていないせいか心理的なハードルが高く、服装に気をつかったり、人ごみをかき分けたりすることを考えてしまい、やたらと自分から遠い世界に感じるのだった。

使用していた通勤定期

縁あって、新卒で私が就職したのは恵比寿にオフィスを構える会社だった。「職場はどこなの?」と聞かれて「恵比寿」と答えることに、こころなしか鼻高々になっていたように思う。〈恵比寿で働く〉というイメージが、実際の働き方はさておき、なんだかスマートで、おしゃれに感じられた。落ち着きがあり、どことなく大人のまちなのだと思わずにはいられなかった。そうしたイメージのなかに自分をおいて、思わずニヤけてしまうような、もしかしたらいささか酔いしれていたところがあったのかもしれない。これまで自分にとって、かけはなれた存在といっても過言でなかった恵比寿というまち。仕事をつうじて恵比寿への日常的なアクセス権を得て、一気に身近な存在となったことが、素直にうれしかった。

ランチでも仕事が終わった後の一杯でも、山のようにある店のなかから、今日はあれじゃなくてこれが食べたい飲みたいと、恵比寿のまちで私は、ぜいたくな取捨選択をしていた。今思えばこうしたわがままを、自分が必要とするタイミングかつ、身近な場所でかなえられることが、仕事へのモチベーションを支えていたように思う。

モーニングを提供してくれる珈琲屋は、気づけば行きつけの店となっていた。10個ためるとコーヒーが1杯無料になるスタンプカードの恩恵に何度あずかっただろうか。コーヒーの香りが充満する店内から、店に面した交差点を足早に行き交うサラリーマンを眺めながら朝の時間を過ごす。その何分か後には自分もそのサラリーマンのなかへと入っていくのだが、始業時間が遅めだった私は「まだコーヒーを飲んでいられる」と、わずかな優越感とゆとりを感じていた。そうしてコーヒーをちびちびと飲みながら、自分の頭を少しずつ仕事モードへ切り替えていく。職場と家とを往復する毎日のなかで、ここはほんの少し足をのばせば届く、気持ちを落ち着けたり、切り替えたりするような場所だった。こうして私は〈恵比寿〉というまちとのかかわりを、1つずつスタンプをためていくように育んでいったのだった。

社会人としてのあれこれを身につけていった恵比寿で、私は小さな背伸びをしていたように思う。

あんな風に仕事できるようになりたい、上司をぎゃふんと言わせてやりたい、などと思いつつ、いくつものプロジェクトを同時にそつなくまわしている風を装うために、背伸びをしないとやっていけなかったという方がしっくりくるかもしれない。背伸びをするためには、かかとをおろせる場所も必要だった。そうでなければ、小さな背伸びすらできなかったのかもしれない。ときに優越感やゆとりも感じながら、わがままもかなって、おいしいもので胃袋も満たされる。そうしてオンオフを上手に切り替えられる場所が、恵比寿にはたくさん潜んでいたのではないかと、今になって思う。

最近は恵比寿に降り立つこともなくなったし、珈琲屋のスタンプカードもだいぶ前に財布から出してしまった。まちのことをいろいろ思い出していたら、ちょっとだけ恵比寿に行きたくなってきた。

今の自分にとっての居場所が、果たして恵比寿にはあるのだろうか。

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