赤とんぼ

🍝Akatombo

Fumitoshi Kato
exploring the power of place
4 min readDec 8, 2019

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学生のころ、友人のYが恵比寿に住んでいたので、よく遊びに行った。「常連」は四、五名だっただろうか。同居していたYのお兄さんは、騒々しいぼくたちには嫌な顔ひとつせずに、いつも大らかに迎えてくれた。ボードゲームに興じたこと、アン・ルイスの曲がかかっていたこと、故障したクルマを牽引しながら運転したこと。いろいろな思い出がよみがえってくるが、なんといっても忘れられないのは、みんなで集まって一緒に期末試験の勉強をしたことだ。
同じ学部だったので、同じ科目の試験をいくつか控えていた。必修科目の単位を落とすと、進級できない。過去問などを集めて対策を練りながら、一緒に勉強した。夕食(夜食)の時間になると、恵比寿のまちに出かけた。マンションを出て、坂を上ってすすみ、こんどは坂を下ると「恵比寿南」交差点に出る。「赤とんぼ」は、その近くにあった。いまでいうファミレスのような店だったと記憶しているが、パスタやピラフ、グラタンといったメニューの、気取ることなく、大学生の財布にも優しい店だった。勉強の合間に食事に出かけているはずだったが、じつは、「赤とんぼ」に行くのが楽しみで勉強会に参加していたのかもしれない。

検索してみたら、「赤とんぼ」は見つからなかった。恵比寿の界隈で、同じ名前のラーメン(中華料理)屋が出てきたが、その店もいまでは閉店しているようだ。同世代の誰かが、回想しながらブログの記事でも書いているのではないかと調べてみたが、それでも、「赤とんぼ」の情報は出てこなかった。
無性に懐かしくなって、「赤とんぼ」があった(はずの)場所に出かけてみることにした。せっかくなので、まずあのマンションまで歩いた。道すがら、スマホで調べると、築四〇年ほど経っていることがわかった(つまり、当時はまだできたばかりだったということか)。賃貸情報のサイトには、リノベーションされた「今風」の室内の写真が載っていた。外見はずいぶんスッキリとしているが、入口のあたりはあのころと同じ印象のままだ。坂を上って下りて、交差点まで歩いた。日曜日の午後で、穏やかな時間が流れている。昨日にくらべると、少し寒さが緩んで、公園には親子連れの姿が目立つ。信号を渡って、近くまで歩いた。やはり、「赤とんぼ」は見つからなかった。

December 8, 2019 | Ebisu, Tokyo

日ごろからきちんと勉強していれば、間際になって心配することなどなかったのだろうが、進級要件は厳しかった。どのような成り行きだったのか、ぼくたちは願かけをすることになった。もし進級できたら、「一番好きなもの」を一年間断つという決意をするのだ。かなり幼稚な、(当時の)大学生が考えた「本気」を示すやり方だった。「大好きなものと引き換えに単位をください」と祈る。それほどに、不勉強だったのだろうか。ぼくはコーヒーを、Yはポテトチップスを断つことにした。そして期末試験が終わり、成績発表があった。
「事件」が起きた。思わぬ結果だった。Yのマンションで、何度も一緒に期末試験の準備をしていたのに、あろうことか、そのYだけが留年してしまった。それからの一年間、ぼくはコーヒーを一滴も飲まずに過ごし、Yは、以前と変わることなくポテトチップスを食べ続けた。Yを置き去りにするような形でぼくたちは進級して、三年生になった。気まずさはあったものの、それぞれが別のゼミに入って日常のリズムが変わり、恵比寿のあの一室に集うことはなくなった。もちろん、あの「事件」のことで仲が悪くなるはずもなかった。

いまでも、気まぐれに声がかかって、あのころのメンバーでテーブルを囲むことがある。いい歳のオジサンたちが集うと、やはり回想が多くなる。決まって、「ポテトチップス断ち」の話になる。Yは、いまは某大企業の取締役専務になっている。

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Fumitoshi Kato
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