赤煉瓦の壁

K.Arima
exploring the power of place
4 min readJan 19, 2018

平成30年、また新年が始まった。年末年始は例年どおり、実家のある関西に帰省をした。大晦日から三が日のルーティーンは、生まれて23年、ほとんど変わりない。ただ、今まで以上に家族と密に色々なことを話し合った今回、今までは見えなかった “何か” が見えたような気がした。そんな事をなんとなく考えながら、新幹線で下宿先のある神奈川にもどってきた。

今年も「成人の日」に、全国高校サッカー選手権大会の決勝が行われた。その日のアルバイトを終え、録画した試合を部屋でひとり観ていた。高校までサッカーをやっていた(しかやっていなかった)僕にとって、選手権はいつも特別だ。けれども今年は、どこか、いつも以上に特別なものとなった。昨年の準優勝校vsインター杯王者の決勝戦、キックオフ直後から、僕はテレビに釘づけになっていた。ピッチ上の22人は、全くの妥協を許さない、全国の代表として堂々たるプレーを展開した。奇しくも、「成人の日」が、少年たちの“妥協を許さない姿”をより一層、際立たせた。そう感心していたら、自分がサッカーをやっていた頃、選抜落ちをきっかけに半ば諦めて毎日を過ごした、あの悔しい経験が蘇った。当時のある日、そんな僕を本気で叱ってくれたコーチのあの顔は忘れられない。その想いに応えられなかったことは、今でも後悔している。

この「後悔」を思い出していた時、ふと、帰りの新幹線で考えを巡らせた“何か”に気がついて、今年の年末年始を振り返った。

大晦日は例年通り、家族で一緒にエビ天入りの年越しそばを食べ、『ガキ使』を観つつ、23時半にお経をあげたら、皆で除夜の鐘を鳴らしに行った。深夜0時、戌年を迎えると同時に近所のお宮さん(小学生の頃、よくサッカーをした神社)にお参りをした。元日は、朝お雑煮を食べてから、地元サッカーチームの初蹴りに参加し(OBとして10年目)、選手権の試合とは比べ物にならない酷いOB戦で汗をかき、お世話になった方々に新年の挨拶を。これらは全て、いつもと同じルーティーンだった。しかし、今回はいつもより家族や親戚と密に会話をした。この濃密な時間が、今までの自分にはなかった意識を与えてくれた。そして、大晦日、除夜の鐘を鳴らしに行く途中に祖父がこう言った。

「カズ、この赤煉瓦の壁はなぁ、大正からあるんや。」

実家に残る『赤煉瓦の壁』

唐突に、そして誇らしげに。。実家に住んでいた頃は気にも留めなかったその赤煉瓦の古い壁が突然気になったのか、携帯には1枚の写真が残っていた。神奈川に戻り、選手権を観て大きな「後悔」を思い出した僕は、その壁が今も実家に“残っている事”の意味に気付けたのかもしれない。

「妥協しないこと、それは何かを残すこと。」

この赤煉瓦の壁は祖父が、残す事を選択したから、今でも目で見て手で触れられるんだ、と。平成しか知らない僕に、何より価値のある「財産」を残してくれたこと、に感謝したい。この壁を見ると、何があっても今まで妥協せず、家族を想う気持ち一心に生きてきた祖父の苦労が浮かんだ。

資本主義社会である以上、お金を稼ぐことが生活の目的になってしまう風潮がある。就職活動が本格化してきた僕自身も、自然と高給な企業に惹かれてしまう。しかし、人々の生活を本当の意味で支えているのは、予期せぬ外的な要因で簡単に価値が変動する円でも、はたまた例の仮想通貨でもない。それはきっと、人間が、特別な想いと共に後世に残すモノである。有形・無形を問わず、ある種スタンダードで、価値が一過性でない。外的な影響などものともしない、先人が残した“何か”である。

神奈川に戻る前、祖母に「あんた少し、柔らかくなったなぁ。」と言われた。そして、今まで妥協して後悔した経験や、逆に妥協せず取り組んだ経験を思い出した。その時々で妥協をせず本気で自分と向き合って生きている人々と出会って来たことも再確認できた。妥協は後に悔いを残すが、きっと妥協せずに生きていく事が、変わらない価値を持つ“何か”を残すことに繋がるのだ。自分も、いつかそんな事を伝えられるような人間に成長したい。平成も来年で終わりを迎えるし、今年は自分が生きている平成という時代を、将来、自分の身の回りにいる大切な人たちに、しっかり伝えられるような、そんな妥協と戦う一年にしたい。

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K.Arima
exploring the power of place

1994🇯🇵 Tokyo / Hyogo KGU国際 SFC修士(都市社会学・喫茶店エスノグラフィー) interests:🎧/👖/📽/☕️/🍕/⚽️/🏌️‍♂️