足る

Natsumi Kakishima
exploring the power of place
4 min readDec 19, 2017

Google Mapは全く頼れないし、現地の言語もわからないこの村で、ただひたすらに舗装されていない道をバイクで走り抜けていく。夜明けまであと1時間。薄暗い道を感覚だけを頼りに進んでいく。大きなパゴダ(寺院・仏塔)の前でバイクを止め、急で長い今にも崩れてしまいそうな階段を裸足でよじ上っていく。朝日が登り始めてから、息を飲むことに精一杯だった。この旅の最終日、忘れられない朝日をみて私たちは満たされていた。

太陽が昇ったあと。パゴダのてっぺんからの景色と現地のミンミン

ミャンマーの首都ヤンゴンから飛行機で約1時間の距離にある小さな村に来ていた。村中に点在するパゴダの数は3000以上で、どれも11世紀から13世紀に建てられたものだ。この村では政府の方針で5軒のホテルのみ営業が許されていて、観光客もあまりいない。どこまでが政府の管理なのかはわからないが、そのホテル以外にこの村に看板や標識は全くと言っていいほど見当たらなかった。幸い日本語を話せるミンミンというミャンマー人が親切にしてくれて、行くべきパゴダの名前やおすすめのレストランをたくさん教えてくれた。だがそれらは地図上で名前を持っていても、バイクを走らせたところでその看板はみつからない。バイクを止めて人に尋ねては、またバイクを走らせる。そんなことを繰り返すうちに、自然とこの村のことを自分たちなりにわかっていった感覚があった。

やっとの想いでたどり着けた大きなパゴダで、突然私より小さな女の子に手を引っ張られて路地裏に連れて行かれた。そして頬に木の皮を粉末状にして水に溶かした絵の具のようなものを塗られた。彼女はどこで覚えたのかわからないがこの村で一番流暢なんじゃないかと思うくらいの英語で私に話しかけてくれた。「日本人の友達ができて嬉しい」という彼女に「こっちも嬉しいよ」なんて安っぽい会話をしながらも、親切だなあと思いながら彼女との会話を楽しんでいた。しかし気づいたら私の周りは5.6人の大人で囲まれていて、頭からたくさんのアクセサリーや小物を身につけさせられて買うように言われた。「ああこれがものごいってこと?」と気付いても人生で初めての経験に私は断り方を知らなかったし、勇気がなかった。さっき友達になったと思った女の子に「あなたがこれを買ってくれないと私たちはご飯を食べられない」と教科書通りのセリフを言われても、どうしても心が痛かった。結局、馬鹿な観光客だと言われるだろうが、欲しくもないアクセサリーを3000円分買ってようやくその場から離れることができた。

物乞いをされて1時間近くこの場から離れられなかった廊下。

普段はiphone1つで世界中の人とコミュニケーションが取れて、下を向いていても検索すれば目的地に着ける。お腹が空いたらコンビニに行けば満たされてついでに暖も取れてしまう。それに慣れていた私が、ネットも繋がらないし看板もないこの村で、目的地に辿りつけたり、道中で色んな人に出会ってコミュニケーションに苦戦しながらも意思疎通ができた。朝市で100円で20個のバナナを買ったけど食べきれず、店に持ち込んだら店員さんが調理してくれて、店にいたお客さんみんなにバナナジュースとキャラメルバナナを配ることもできた。外から来たのだから当たり前だが、非日常で必要最低限で成り立つこの生活に感激していた。「足るを知る」という言葉を知ってはいたが、生活を通してそれを実感したのは初めてだった。

それなのに、あの物乞いの女の子を目の前に、その人の生活が関わっているのかもしれないと考えただけで欲しくもないものを買ってしまった私の行動は、どう位置付けられるのだろう。

必要最低限の暮らしをしている人から、必要ないものを買うことで誰かを幸せにしているのかもわからない。もしかしたら心が痛い自分を守りたいという欲を満たすためなのかもしれない。それを無駄とも言い切る勇気もない。

足るを知れたこの地で、必要ないものを手にしている自分が不思議だった。

またこの村にくることがあったら、私は同じことをしてしまうのだろうか。

--

--