距離は伸びるよ/縮むよ、どこまでも。
科学技術の発達のおかげで、人間にとって距離はあまり重要ではなくなってきたと言われる。自動車や飛行機が発明され、それらが庶民に普及したことで、どこかに行きたいと思って家を飛び出せば、ほんの数時間で世界中の都市にたどり着くことができるようになった。「長い距離は、長い時間をかけて進むもの」という考えは、もはや古いのかもしれない。むしろ、距離的に遠い場所よりも、過疎地のような交通機関が通っていない場所の方が、本当の意味で「遠い」場所になっているような気がする。
過去のMediumの記事でも書いてきたが、大学生になってからバックパッカーとして海外旅行をするようになった。母親の仕事の関係で航空券が手に入りやすかったおかげで、長期休みにアフリカやインド、欧州まで安旅をする機会に恵まれていた。大学一年での初めてのバックパッカーをしていた時は、遠くに来た感じでドキドキかつビクビクしていたが、飛行機に乗る機会が増えれば増えるほど、行き先を決める時に距離を気にしなくなっていった。
距離を予測するのに、時間がもはやアテにならないなと思った経験がある。単純な飛行機と高速バスの比較の話に過ぎないのだが、よく考えると奇妙に思えて仕方がない。飛行機の直通便では、東京―パリ(フランス)は12時間ちょっとで行くことができる。それに対して、2年前、夜行バスで出雲に行った時は、新宿―出雲市駅(島根)で12時間ちょっとかかった。飛行機では機内食が出るおかげで、映画を見て、ただ食べて寝ているだけで目的地に着く。一方の夜行バスは、食事は出ないから、深夜のサービスエリアで眠い目を擦りながら、コンビニで買わないといけないし、トイレもそこで済ませないといけない。また、深夜の消灯時間になると、スマホやタブレットなどの光を放つものの使用を控えるのがルールになっているから、映画を見るにはそれなりの覚悟がいる。道路状況によっては、到着時刻だって大きく変わる可能性もある。サービスエリアに着く時間を計算しながら、ひたすらに寝る時間を計算しなければならない、夜行バス。至れり尽くせりのサービスで、ボーっとしていれば、目的地に着く飛行機。東京―パリの9710kmを12時間で行くのと、東京―出雲の790kmを12時間で行くのは、時間は同じでも、距離で見れば10倍以上の差があり、出雲の方が近いに決まっている。けれども、パリに行くよりも出雲に行く方が、体験としては厳しく辛い道中であり、距離があるように錯覚してしまうのだ。
2020年、世界的なパンデミックで海外に行くことはできなくなった。ましてや、夏までの期間は、都内で気軽に電車に乗ることすら憚られたほどだった。当時、町田で生活していた私は小田急線や横浜線に乗ることはなく、基本的に自転車で行ける範囲内で生活していた。範囲外に行く必要も感じず、特別行きたいとも思っていなかった。目線が下がって、近くを見るようになったことで、近所の公園や森、川の存在に気づき、頻繁に遊びに行くようになっていた。
夏になって感染者が落ち着いてきた頃、友達と秩父に旅行しに行った。片道でたったの2時間だけの電車旅だったが、久しぶりの旅路は長く、遠く感じられた。
2020年を振り返ると、大学3年間で世界中に広がりすぎていた距離的な感覚が、大学4年生の半年で一気に縮小した気がする。あと半年で社会人になる。COVID-19はあと半年で収まることはないだろう。気軽に世界をバックパッカーとして旅することは、今後の人生で体験することはないのかもしれない。私の「伸び縮みする距離の感覚」が広がっていくことは今後ないのだろうか。大学3年生の時がピークだったのだろうか。そう思うと、なんだか寂しい気持ちになってしまう。