通学という旅路

Saki
exploring the power of place
Jan 18, 2021

私は県をまたいで大学へと通っている。電車とバスを乗り継ぎ大学へと向かうのだが、その移動時間は1時間半を優に超える。大学へ通い始めて丸3年がもうすぐ経とうとしているが、この1時間半という時間の中で私の振る舞いは変わり続けている。

桜の花びらが舞う、まだ大学へ通い始めてすぐの頃。私は憧れのキャンパスに通える喜びと、初めての電車通学への不安とが混ざり合った不思議な気持ちだった。もともと私は中学・高校と自転車通学をしており、自宅から学校までは約10分という短い距離だった。そのため、電車通学はもちろんだが、こんなにも長い時間をかけて通学するということも初めての体験だった。乗り換えも多く、電車の遅延も多い線でもあったため、きちんと乗り換え時間に間に合うか、行き先を間違えず電車に乗れるか、無事に到着できるのか…心配事は次々に浮かび、まるで『はじめてのおつかい』(日本テレビのバラエティー番組)に出演している気持ちになることも時々あった。ただ、緊張しながらも次々と移り変わる窓の外の景色に日々心を躍らせていた。

夏が過ぎると、だいぶ電車通学には慣れ、緊張することはなくなった。そして、乗り換えアプリを見なくとも2限に間に合うためには◯時◯分の電車に乗ればいいだとか、何号車の何番ドア前に座れば乗り換えがしやすい だとか、そんな感覚が私の中でどんどん出来上がっていった。すると心に余裕は生まれてきて、電車の中での私の視線/意識は外の世界からスマホの中の世界へと移っていった。音楽を聴きながら、LINEで友達と連絡をとったり、Instagramで溜まっていたストーリーズをチェックしたりなど、私は1時間半という長い暇をつぶすためにスマホの世界に入り込んだ。

さらに1年が経ち再び冷たい風を感じる頃なると、その通学時間の使い方は大きく変わる。少し前まではいかに暇をつぶすかということに意識を向けていたが、この時期あたりからは片道1時間半、往復3時間をいかに効果的に活用できるかということを考えるようになった。そのため電車の中で、プレゼンの練習をしたり、今までなかなか手をつけられなかった読書をしたり新たなことへ挑戦するようになった。また、大学や自宅でのパフォーマンスを上げるために通学時間を睡眠時間に当てることも増えた。これまでは周囲に人がいる場所では眠れなかった私が、慣れもあってか周囲を気にせず眠り、そして必ず大学の最寄駅の直前に目が覚める力を身につけた。

ここまで私の通学時間の様子を振り返ってみると、私自身の電車という空間の捉え方が変化してきたことがわかる。電車に乗り慣れていなかった頃の私は、周囲の視線を気にして眠れなかったりなど、公共空間という認識が強くあった。一方で、電車通学を始めてしばらくしてからは、喧騒に気持ちを左右されることなく自分の世界へと入り込むことが増え、個人の空間という感覚が強まった。

また、1時間半という時間の捉え方についても変化が生まれた。友人と通学時間の話になると、「遠過ぎる。よく通えるね…」という言葉をかけられることが多くあるが、私自身も入学後1年以内は、1時間半を「長い」「遠い」と捉えていた。しかし、現在の私にとってこの時間は決して長いとは感じない。むしろあっという間だ。習慣というものは恐ろしいもので、私自身の時間感覚までも変えてしまう。そのため休日に出かける時にも、これまで遠いと感じていた場所や、乗り換えが複雑な場所などにも足を運ぶようになった。少し大げさに聞こえるかもしれないが、私の中で世界が広がった感覚を覚えた。

最近は新型コロナウィルスの影響により、大学へ通う機会は大幅に減少した。しかし、その中でも電車内でオンライン授業を受けたり、発言はせずともzoomミーティングに参加したりなどその過ごし方はまだまだ変化し続けている。卒業までのあと1年間で私の1時間半という時間は時代とともにどのように変わっていくのだろうか。私の見える世界はどのように変わっていくのだろうか。そんな気持ちを抱きながら、今日も私は通学という旅路に就く。

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