通過点

Ayako Moribe
exploring the power of place
4 min readOct 19, 2018

横浜で生まれ育った私にとっての渋谷は都会そのもので、遠い存在だった。高校時代はおろか、大学生になってからも横浜の自宅から下り方面の定期券を持って通学する日々が続き、〈いつまで経っても東京に近づけない〉と友だちにからかわれたのを今でも鮮明に覚えている。そんな私も、さすがに大学生にもなれば都内へ出る機会も増えていった。横浜から東横線に乗れば、渋谷までへ1本で行ける。それは便利な都会への入口のようだった。ずいぶん前のことだが、横浜の隣の反町駅がまだ地上にあったころをうっすらと記憶している。工事が着々と進み、みなとみらい線が開通した後も渋谷はまだ終点だった。ホームへゆっくりと入ってきて、次の出発を待ちながら並んでいる電車たち。飲み会帰りは渋谷から整列乗車をして、座って帰る。折り返す空っぽの列車は、横浜へ帰る私にとって最高の電車だった。

今はなき、東横線渋谷駅地上ホーム(2013.2.5)

大学を卒業してから、社会人になる前の半年間、私は渋谷でバイトをする機会に恵まれた。社会人手前にして、ついに渋谷まで通うことになり、遠い存在だった渋谷が一気に身近になった。横浜から渋谷まで、毎日のように東横線に揺られる日々。自分のなかでは、なんだかまた一歩おとなになったような気持ちと、こうして渋谷へ通っていることを少し自慢したい気持ちがあった。しかし何よりも「東京・渋谷」という場所へ日常的にアクセスするようになったということがうれしかった。

バイト先は、とある降車専用改札口の目の前に店舗を構えていたため、電車が到着するたびに改札からたくさんの人が出てくるのをいつも目の当たりにしていた。仕事を終えたサラリーマンはもちろんのこと、昼間でも想像以上に人びとが改札から流れ出てくる。その流れは店にも到達し、大量の恩恵を受けるのであった。私は人差し指の指紋が消えかけるくらいレジをひたすら打ち続けた。時間のないサラリーマンを相手に、もたもたすることは許されず、暖房のきいた店内で、それはもう半袖を着ていても汗をかいてしまうほどだった。平日は正午前後の1時間がいつも勝負。そこに向けて店内のモードが明らかに変わっていく、緊張が高まりつつも、その瞬間が好きだった。

夕方も多くのお客さんで店内がにぎわう。サラリーマンをはじめ、学校帰りの学生や子ども連れの方もいて、昼間とはまた違った雰囲気だ。サラリーマンも仕事が終われば、領収証のいらないプライベートな買い物をしにやってくる。私は今でも店の前を通りかかると、当時を思い出して懐かしくなる。ずらっと並ぶ筆記具にファイル、シールや便箋、児童向けの学校用品、ときにはクリスマスカードや年賀状など。店頭に並ぶ商品は、季節や時間によって移りゆく人びとの動きを表しているようだった。初めて「都会」へ通っていたあのころは、社会人になる前の助走期間だった。私は「渋谷」という都会で、働く人びとに混じり、仕事を通じてたくさんの人に接しながら、学生でも社会人でもないそのあいまいな立場を通過しようとしていた。渋谷という場所は、学生時代に終わりを告げたひとつの通過点であり、出口だったのかもしれないと今だから思う。

私と渋谷の今の関係は、近からず遠からずのあいまいな感じだ。そうは言いつつ、心のどこかでは、流れ込んでくるサラリーマンたちを相手に戦ったあのレジでの日々が、私と渋谷を近くにつなぎとめてくれている気がしている。東横線が結ぶ横浜と渋谷、それぞれの場所での終わらない工事、複数の路線が入り込む大きな駅ビル、駅のそばを流れる川。ふたつのまちは似ているような、そうでもないような、微妙な関係なのかもしれない。渋谷に終点、始発がなくなり、かつての恩恵が受けられなくなってしまったことは少しさみしくもあるが、それでも昔と変わらずに都会へ連れ出し、横浜へ連れて帰ってくれる東横線。そして渋谷は、これからも私にとっての出入口であり続けていく。

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