連れていくもの

Yudai Matsumuro
exploring the power of place
4 min readFeb 18, 2018

幼稚園までは福岡にいたのだが、小学校に上がると同時に神奈川へと引っ越した。幼稚園の友達と離れてしまうので、この引越しがとても嫌だったのを今でも覚えている。通園のバスの時間でも長く感じていた当時の僕には、神奈川に引っ越すことが国外に行くような気持ちだったのだ。中学校に上がってからも今までに4回の引越しを経験しているが、不幸中の幸いで、僕の学生生活には転校するといったことはなかった。前半2回は当時住んでいたマンションの建て替えなどによるもので、家族と一緒に引っ越した。昔遊んだおもちゃや着なくなった服の多くは処分され、荷物が整理されていく。引越しという名の大々的な片付けといった方が適切な気がする。後半の2回の引っ越しは一人暮らしのための引っ越しなので、僕の個人的なわがままでしかない。今の家に越して来てまだ4ヶ月くらいだが、一人暮らし自体はもうそろそろ2年目を迎えようとしている。一人暮らしを始めたのは、大学2年生の6月頃だった。家から十分通える距離だったが色々な理由をつけて、大学の最寄駅で一人暮らしを始めるまでなんとかこじつけた。1回目の引越しの荷づくりは難しかった。この時は授業だけでなくサークル活動も忙しかったので、引越し直前までダンボールと格闘していた。両親がいる家に大きな家具はほとんど残していくために、正直本や服といったものの持って行くか行かないかの線引きはとても難しかった。持って行きたいものを僕が決めるというよりは、ダンボールに入るだけという上限があるので、ある意味ダンボールが持って行くものを決めてくれた。荷づくりの度に思うけれど、本当に必要なものだけだったらダンボール3つで収まると思う。服ですら本当はそんなに持たなくても良い。よくよく考えれば、恐らくもう数回しか読まないであろう漫画や雑誌が僕とともに移動する荷物の多くを占めている気もする。

一方でどこに住もうと、この先も必ず持って行くと決めているものがある。それは、誰かからもらったプレゼントや手紙といったものだ。僕の場合、どんな些細なものでも残しておく癖がある。手紙にはじまり、色紙、アルバム、写真、プレゼント、メッセージが書いてあるお菓子の箱なんかも捨てずに残してある。他にも意味のわからないお土産や、使うタイミングのないものも混じっているが、そのまま大事に取って置いてある。学生時代は学校行事が大好きで、片っ端から中核として携わったため、色々なおもいでが、そこには詰まっている。そんな彼らを荷づくりの最中に見つけてしまうと、つい荷づくりそっちのけで読み返してしまう。

おもいで

色紙や手紙を読み返しても全てがキラキラとした素敵な出来事だけが蘇るわけではない。それでも大切にしているのは、そこから友達とのおもいでにアクセスできるからかもしれない。出来事自体が成功だろうが失敗だろうがどうでもよくて、友達との共有できる過去に懐かしさを感じたり、読み進めると時に笑みが漏れてしまうあの時間は自分にとって心地が良い。今でも連絡を取り合って会うくらいの仲の友人でも、当時の文面にはまだ少しよそよそしさや距離感が残っていて、見返していると不思議な気持ちになる。過去ばかり懐古しがちなおもいでの品たちは、過去の自分が過去の自分なりに頑張っていたことにも気づかせてくれる。現在の自分に立ち返った時にも、とっても励みになる。
荷づくりはものを介して、ある時は自分と、またある時は誰かと向き合うための時間なのかもしれない。ものを選別しながら過去を振り返り、消化しきった過去は捨てたり、時には折りたたんで頭の片隅にしまう。まだまだ咀嚼中のものはしっかり梱包して次の住処に持って行ったり。時には未来や将来、可能性なんてちょっと恥ずかしい言葉を引っ掛けておもいを馳せるなんてことも。僕は引越しが好きなのかもしれない。

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