遠いからこそ近い

二月から授業も研究室の集まりも友達との飲み会も、ほとんどオンラインになってしまった。親しい人との距離はどんどん近づいていったが、もともとあまり会わない人との距離はどんどん離れていってしまった。私はもともと交友圏が広く、キャンパスですれ違う友達(いわゆる「よっ友」と言われることもある)と何分かだけ言葉を交わす時間が好きだった。そのため、オンライン化によってそういった偶発的なコミュニケーションほとんど消滅してしまった状態に、なんとも言い表しがたい苦しさを感じていた。画面越しに友達と飲み会をすることにも飽き、とにかく「オンラインは嫌だ!」という状態に陥りそうになりながらも、同時に一方では「オンラインだからこそ居心地が良い」と思える体験をしている。オンラインが嫌なはずなのに居心地良さを感じる、一見矛盾するようなことについて、今日は考えてみたい。

私は2月から「en-courage(エンカレッジ)」というキャリア支援NPO法人で活動し、一つ下の後輩の就職活動やキャリアに関する支援をおこなっている。エンカレッジは各大学の学生が主体となって運営し、慶應義塾大学では活動を開始してから5年目を迎える。去年自分がお世話になった先輩への恩返しと、後輩が少しでも自分らしく就職活動ができるようにサポートをしたいという思いで取り組みをはじめた。エンカレッジの主な業務は、一対一の面談を通して就活やキャリアに関する悩みを一緒に考え、自己分析や選考対策を手伝うことである。現在私は三十六人の後輩を担当し、就職活動の経験を共有したり、将来の夢や今後どうなっていきたいかなどを一緒に考えている。去年の面談はカフェなどでお話をするかたちでおこなわれていたが、今年は感染防止のため全てがオンラインとなった。毎回の面談はzoomや電話で行われ、多くのエンターとは一度も会ったことがない。「そんなの寂しいじゃないか」という声はあるが、私にとって、実はこの距離が居心地良いのである。

エンカレッジでは、就職活動の先輩にあたる自分は「メンター」と呼ばれ、これから就職活動に取り組む後輩は「エンター」呼ばれている。面談全体の業務を担当する部署が、性格や指向性を踏まえて二人のマッチングを行う。そのマッチングを経ると「大学の先輩と後輩」という関係性は「メンターとエンター」と呼ばれるようになる。ここからわかるように、メンターとエンターは友達や仲の良い先輩と後輩の関係ではなく、つまりはサービスの提供者と利用者の関係にあることがわかる。だが、もしも毎回の面談をレストランやカフェでおこなっていたとしたら、「提供者と利用者の関係性」だと割り切ることはできただろうか。私にはきっとできなかったと思う。無償でサービスを提供している立場であるとしても「後輩だから」とお金を払わせないだろうし、「わざわざ足を運んでもらったから」と面談を一時間で切り上げることができなかっただろう。実際に去年面談で一時間ほどお話をさせていただいたあとに、先輩がまた次の面談があるからと言ってお店に残り、私一人で支払いを済ませた際にはなんとも言えないぎこちなさと寂しさを感じてしまった。「提供者と利用者」と「先輩と後輩」の関係には大きな溝があるように感じてしまった。

オフラインでは曖昧だった「先輩と後輩」と「メンターとエンター」の関係性の境界は、オンライン化されたことでずっとわかりやすくなった。もやもやとした関係性による様々な駆け引きのようなものがなくなったことで、お互いが限られた時間のなかで最大限に心を開きやすくなったようにも思う。それゆえに、メンターとエンターの関係性が深まり「提供者と利用者」を超えて「先輩と後輩」に戻りやすくなったのではないだろうか。

もう少し落ち着いたら、ご飯を食べに行こうと約束しているエンターもいる。彼らや彼女らに触れることはできないけれど、触れられる距離にいたときよりもよりもずっと心は近いように思う。遠いからこそ近い。こんな距離なら、オンラインでも好きになれる。

エンターとの待ち合わせ場所

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