遠いけど近い、近いけど遠い

先週、カナダに交換留学していたときの友達であるサマーから突然連絡がきた。1つ前のメッセージをみると2015年のものだったことから、随分久しぶりだったことがわかる。いつもは煩わしいと思ってしまうFacebook上のやりとりも、嬉しくてすぐに返信をする。「最近どう?」という会話から始まって、「お互いコロナで移動できないのは辛いけど、ビールでも飲んで元気にやっていこう」などと冗談をかわしながら近況報告をしていた。なんだか大学の友達とも最近同じような話をしたな、とそのやりとりの調子に笑ってしまう。

15歳のときに1年間の交換留学で、私はカナダのアルバータ州に行くことになった。私費ではなかったため、自分で留学先の国や学校を選択したわけではなく、馬と牛がいる牧場や農園が漠然と広がるその地域に行くことが突然決まった。学校は、幼稚園から高校まであって生徒数が300人も満たない、小さなところだった。その周りには高校生が遊びに行くような施設こそなかったが、学校中の全員が顔見知りで、みんなが小さい頃から共に成長してきてなんだかんだ仲が良い、といった感じだった。

サマーは、教室の後ろの方で、机の下で1人携帯をいじっているような生徒だった。第一印象で、群れるでもなく孤立するでもなくただ自分のペースでやりたいように生きているような雰囲気があったことを覚えている。教室の一番前の席には、毎日派手なメイクをした女子生徒2人組と、授業を真面目に聞きたい男子がまばらに座っていた。教室の真ん中には、特別仲の良さそうな女子グループが占領していて、誰にもその輪に寄せ付けないような感じがしていた。当時中学校で習った程度の英語しか話せず、突然の海外生活に緊張していた私は、どのグループに入りに行く勇気も出ず、自然の流れで教室の隅に1人いたサマーに話しかけに行った。それからサマーとは、どちらからともなくお互いの家を行き来したり、一緒に授業を受けたりするようになり、少しずつ付かず離れず仲良くなっていったことを思い出す。

先日、サマーとのやりとりの話を友達にしたときに、「なんとなく、日本にいてても海外にいてても、東京にいても地元にいてもつるむ友達って結局変わらない気がするんよねぇ」と、その彼女がつぶやいた。彼女はフランス、カナダと留学を経験していて、そう感じたらしい。思い返してみると、私自身もまた中学校、高校時代はあまり女子同士で群れるのは好きではなくて、教室の後ろに座っていることも多かったようにも思う。英語ができなかったから、と単にサマーとの出会いのきっかけを捉えていたのだが、サマーと友達になったのは全くの偶然ではなかったのかもしれないと、ふと思った。

「人はみな、母親と父親の間で生まれた時点で文化的混血児です」
(トドロフ ,2008)

授業の課題で読んだある本の言葉が、最近時々頭をよぎる。確かに、同じ地域で生まれ育った幼馴染や家族でさえも、価値観の違いに驚くこともあるし、その違いでぶつかることさえある。サマーとの出会いを思うと、同時に、遠い外国に行っても誰かと同じような価値観や感覚を共有できることも、もちろんある。だからこそ話す言葉や育った環境の違いは、人とのすれ違いや分かり合えなさ、理解や共感の理由にはならないのかもしれない。「異文化交流」を目的に留学を選んだことを考えるとやや拍子抜けしそうな話でもあるが、同時にその理由のならなさは、知らない誰かと出会ったり話してみたりすることに期待を抱く理由にもなるのだろうと気がつく。
そう考えてみたことをサマーに伝えてみたらどんな反応をするのだろう。いつか直接、その話をしに行ける日が来るのが楽しみである。

ほぼ5年越しの会話。私がカナダに行ったのは2013年の夏だった。

参考:「異郷に生きる者」, ツヴェタン トドロフ, 2008

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