釈迦堂と本

Aberi.
exploring the power of place
4 min readOct 19, 2016

ふとした瞬間に、それまで誰もいなかった空間にいろいろな人の動きが広がってくる。そこにあるものが、その場所にたどり着くまでのストーリーを語りはじめる。あとはひたすらに耳を傾け目を凝らすだけ。

これは、私が少し前に神奈川県の「根府川」というところで寄り道をした時のこと。その日は、猿被害に困っている柑橘農家のお話を伺いにいく予定だった。集合時間までまだ少し時間があったため、散歩でもしようかと駅から出てみることにした。根府川駅のホームに降り立つと、眼下には海が広がっている。降りる人もほとんどいないようで、波と電車の去っていく音が響いている。私がいつも使う駅とはかけ離れたその景色に、気持ちの高まりを抑えきれないまま周囲を見渡すと、幾つかの矢印が目に止まった。

その中に「釈迦堂」はあった。名前に惹かれ、矢印の示す方向へと歩いていく。しばらくすると、石のかたちを残したまま作られたやや趣がある階段をおりた先に、小さなお堂が見えてくる。これが釈迦堂。外に建立についての説明が書いてある。関東大震災の時には根府川を通っていた電車が墜落し、約130名の方が犠牲になったそうだ。ここのお釈迦様も、最初は地上におられたのだが、地震で土砂崩れが発生し土の中に埋まってしまったため、階段を降って中に入る現在のかたちに至ったという。

釈迦堂の周りは人通りはなく、辺りを見回すと川と鉄橋、田舎道という様子で、少し鬱蒼とした雰囲気を醸し出している。階段を降り、中へ入っていく。広さは7畳くらいだろうか。地下になっているので中は涼しいが、蜘蛛があちこちに。階段を降りる手前に机が、降りた先にはベンチが一つ置いてある。お釈迦様は奥の格子の中におり、花も供えてある。来る途中もほとんど人に会わず、釈迦堂にも人の姿は見受けられないが、人が来ないというわけではないらしい。ベンチには、使い古された手ぬぐいとビニール袋に入った何かが置いてある。中は、缶だろうか、食べ物もようなものも袋から透けて見える。そして、本。

なぜここに本があるのだろう。階段を降りてすぐのところにある台の上に、その本はそっと置かれている。表紙は裏返されているのだろうか、そっと開いてみた。『最後の言葉ー戦場に残された27万字の届かなかった手紙ー』。棚の上に大きくて黄色い蜘蛛がいる。逃げたい気持ちを抑えながら、本をめくってみる。特に何かが書きこまれている様子はなさそうだ。ふと思い立ち、背表紙を見ようと本をひっくり返すと、そこには「言葉」があった。

「日本が平和であり、世界と仲良く共存できますように。……。10年ほど前、釈迦堂に入る道から中まで、蜘蛛の巣だらけでした。……。小さなことでも、コツコツ続ければ……ます。」15行ほどで語られたメッセージは、私にとって十分だった。そうか、蜘蛛が多いと思っていたけれど、本当はこの人が取り払っていたから私はここにいれるのだ。次第に、それまで見ていたけれど、実は何も見てなかったことに気づいていく。人はいないが、ここには人が祈りに来た、痕跡が残っている。ものを見た瞬間に、その背後にある話や人の動きが頭の中に浮かんでくる。

花を供え、替えては線香を立てる人。ベンチに腰掛け、手ぬぐいで額の汗を拭う人。スーパーで買ってきたものを、お供えとしてベンチの上に置いて去る人。そして、本の背表紙の裏に言葉を綴った老人。旧字体の混じったその手紙から、その姿を思い浮かべる。みんな、どんな思いでここまで降りてきて、お参りをするのか。どんな仕草で、何を祈るのか。私の目には誰も写ってない。けれど、彼らがのこしたものが糸口となって、ものがたりを語りかけてくる。

釈迦堂ができたのは、江戸時代。人々が飢饉で飢え、苦しんでいた状況の中で、民になんとかして希望をもたせたいという思いで建てられたのだという。JRの職員は、年に一度、関東大震災の起きた9月1日になるとお参りし、電車に乗って亡くなられた方に祈りを捧げる。本を置いた人は、太平洋戦争を経験したのだろうか。その人は釈迦堂にお参りし、平和への祈りを捧げる。その人がどんな記憶を持っていて、どんな思いでこの本を残したのか。深く推し量ることはできないけれど、きっと、届けたい言葉があったのだろう。コツコツ続ければ、どうなれるのだろうか。あの本がなければ、私にとっての釈迦堂は、ただの釈迦堂だった。

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