あのときはここに。

Kiyoto Asonuma
exploring the power of place
4 min readFeb 10, 2017

先月、岡山に住むおかんが東京に来た。

東京には姉が、となりの神奈川にはぼくが住んでいる。が、我が子に会う、というのは母にとっては「ついで」の用事。最優先の目的は彼女が大学時代に所属していた関西の某大学オーケストラの、5年に1回の東京公演を聴きに行くことだった。

あまり昔の話をしない母がひどく饒舌に過去を語るのは、大抵大学時代の、とりわけオーケストラの話をするときだ。知り合いの先輩に紹介され自分の入学式のときには既に舞台上で楽器を弾いていたと(誇らしげに)言っていたから、文字通り学生時代のすべてを「あのとき」に捧げたのだと言っても過言ではないだろう。

彼女は随分前からぼくらのスケジュールを(半ば強引に)抑え、即日完売との噂だったチケットを様々な手を駆使してなんとか入手した。「毎回OBOGには無料でチケットが送られてくるんだけど、今回はもうチケットが売り切れで、いろんなひとにお願いしてなんとかなんとか。あっ、あれやで、おかあさんは毎回もらえるチケットとは別にちゃんとお金払って買ってるんよ、チケット」誰も気にしちゃいないのに、オーケストラへの愛はアピールされる。

会場に着いたのは開演の1時間半ほど前だった。現地集合で姉も合流し、親子3人で近くの中華料理屋でご飯を食べた。食事をしている間にも母のかつての先輩や同級生、後輩に話しかけられた。いつもとはやや違う表情で、親しげな関西弁で会話をするおかん。「あのとき」が垣間見れた瞬間だった。

母は差し入れを持ってきているようだった。一体誰への差し入れだろうと思っていると「あの、コンミス(コンサートミストレス)の女の子、あの子に」どうやらそれは名前も知らない現役団員への差し入れらしかった。おかんは名前がわからないことなど全く気にする素振りもなく、受付に行き、後輩であろう受付係にちゃっちゃと差し入れをあずけていた。

終演後、いくつものグループができる(2017.0122 於サントリーホール)

演奏会場はぼくが普段よく行くそれとは少し違って見えた。まず、聴衆の年齢層が幅広い。学生と思わしき若者とおじさんおばさん世代と、それから関西弁を流暢にあやつるご老人たち。まさに老若男女が大勢いた。そして客席は開演まで終始にぎやかで、演奏が終わると、ホールを出たあたりに各年代がそれぞれグループをつくり、これまたにぎやかに会話をしながら、「あのとき」のつづきを繰り広げようとしていた。

今月のはじめ、ぼくが所属している加藤文俊研究室の展覧会(ぼくたちはフィールドワーク展と呼んでいる)があった。年1回のフィールドワーク展は今年で13回目だったから、今年も含めるとこれまでに13回、卒業生が旅立っていったことになる。そんな、この研究会で大学生活を過ごし、卒業していったOBOGの先輩方も多数来場していた。先生が授業で話をした先輩たちはなんだか「歴史上の人物」のように思えたし、お子さんをつれて来る先輩を見ると、連綿とつづいたその歴史の長さに、ありきたりだが、重みのようなものを感じた。集まった先輩たちは、各世代同士で、ときには世代を超えて「あのとき」を味わっているかのように見えた。

フィールドワーク展たんぽぽ(2017.0204–06 於BUKATSUDO)

ぼくがご案内したある老夫婦は、話をしているうちに研究会のOBのご両親だと分かった。別れ際、ご来場頂いたお礼を述べると「あなたはここでとてもいい時間をすごしているのね、親御さんに感謝しなくちゃだめよ」と、どこか茶目っ気を感じさせる笑顔で、言われた。

母の顔が思い浮かんだ。サークルとゼミとの違いはあれど、母も「あのとき」を、いまのぼくのように、悩んだり葛藤したり、ときには仲間とぶつかったりしながら過ごしたのだろうか。そんな日々が、彼女にとってかけがえのない大切なものになっているのだろうか。そんな風に過ごした場所が、また帰りたいと思う場所になっているのだろうか。

いつかぼくも「このとき」に戻ってきたいと思うのだろうか。「このとき」が、かけがえのない日々になって、名前も分からない後輩たちに、差し入れを持ってきたりするのだろうか。

そんなことを考えていたら、あっという間に3日間の展示は終わった。

来年の展覧会にはおかんを呼ぼうか。

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Kiyoto Asonuma
exploring the power of place

京都生まれです。だからきよとです。元牛飼いで現大学生です。