魔法のことば

Kana Ohashi
exploring the power of place
4 min readSep 19, 2019

フィンランドの首都ヘルシンキに住んでいた頃は、気軽に他のヨーロッパの国々へ行くことができた。EU圏内では、航空自由化以降、格安航空会社のマーケットが拡大したため、低価格で航空券が手に入る。日本での国内旅行に近い感覚で、他の国々へ出かけられる。貴重な機会を活かすべく、ヘルシンキにいる間、ヨーロッパの中で会いたい人がいる場所、見たいものがある場所を訪れる旅をした。2012年10月、私と夫は、ドイツのデュッセルドルフで暮らす友人に会いに行くことを決めた。ついでに、以前から行きたいと思っていた美術館や博物館があるベルリンにも滞在しようという話になった。ヘルシンキとベルリン間をデンマーク・コペンハーゲン空港経由で往復する格安航空券を購入し、ベルリンとデュッセルドルフ間はのんびりとした鉄道での移動を選んだ。ベルリンで2泊した後、デュッセルドルフの友人宅で1泊し、再びベルリンで1泊してから、ヘルシンキに戻るという計画だ。

ベルリンとデュッセルドルフでは、街並みがまったく異なっていた。第二次世界大戦後から1990年まで、ドイツが二つの国に分かれていたという歴史に思いを馳せる。世界史をまじめに勉強しなかった私でも、街を歩き、建物を眺め、美術館や博物館をのぞいてみるだけで、それぞれの街が辿ってきた歴史の違いを感じる。ベルリンには、東ドイツと西ドイツに分断されていた痕跡が、街のあちこちに残っている。複雑な状況を生き抜いた人びとがつくりだした、混沌とした魅力を感じる。美術館や博物館に行く以外は、あてもなく謎の小道を歩いて楽しんだ。雄大なライン川沿いに広がるデュッセルドルフの街には、ベルリンとは違う整然とした美しさがある。歴史を感じる荘厳な建物に圧倒される。現地で働く大学時代の友人の案内で、地元の老舗レストランに行き、日本では見たことのない大きさのソーセージや肉の料理とアプフェルショーレ(リンゴの炭酸飲料)を味わった。4泊という短期間ではあったが、二つの街での滞在を満喫して帰路についた。

16時過ぎにベルリンから出発し、コペンハーゲンで乗り換えて、19時過ぎにヘルシンキの空港に到着する予定だった。ところが、コペンハーゲンに着く直前に、ヘルシンキ行きの飛行機は機材トラブルでキャンセルされたので、該当する客は空港のカウンターに来るようにというアナウンスが流れた。順調と思われた旅の最後に、面倒な展開が待っていた。私たちは、翌日の午前中にヘルシンキで人と会う予定を入れていた。何としても、その日のうちにヘルシンキに戻れる便に振り替えてもらいたい。カウンターで順番を待っている間、私たちは焦りと苛立ちを感じながら、担当者との交渉に向けてリハーサルをした。一番早い振替便を何とかして勝ち取ろうと、気張っていた。ここで無駄な待ち時間は過ごしたくない。

ようやく私たちの番になった。担当者は、隙のないキリッとした表情の女性だ。周りのスタッフと比べて明らかに年齢が上に見えた。テキパキと対応する様子からして、ベテランなのだろう。私たちはカウンターに近寄り、気合を入れて交渉を開始しようとした。ところが、彼女の方が先に口を開いた。“You will have a wonderful night in Copenhagen.(あなたたちはコペンハーゲンですばらしいゆうべを過ごすことになります。)” 彼女はまるで、宝くじか何かの当選を客に伝える時のような笑顔で、こちらを見ていた。その日のうちの振替便を勝ち取る気でいた私たちは、リハーサルまでして用意していた交渉のことばをぶつけるタイミングを失った。“a wonderful night in Copenhagen” という魅惑のことばが、頭の中を占拠する。彼女が差し出した翌日朝の振替便のチケットとコペンハーゲン市内のホテルの無料宿泊券と食事券を受け取り、思わず笑顔で“Thank you!”と言ってカウンターを後にした。あっという間の出来事だった。観光と言えるほどのことはできなかったが、少し街を歩き、予定外の豪華な夕食を楽しんだ。突然の変更に焦りと苛立ちを感じていた自分たちが、小さく思えて可笑しかった。

2012年10月27日 コペンハーゲンの空港から市内へ移動する際に撮影

--

--

Kana Ohashi
exploring the power of place

Ph.D. in Media and Governance. Associate Professor at Department of Communication Studies, Tokyo Keizai University.