魔法のカギ

Sakura Shiroma
exploring the power of place
4 min readJun 19, 2017

スーパーに行くと、鯖缶、コーン、シーチキンと様々な種類の缶詰が並んでいる。缶詰を見るとふとキッチン下収納棚の奥にある缶詰が頭をよぎる。家に帰ってその収納棚を開くわけでもない。それと同時に、色んな思い出がこみ上げてくるのだ。

「ランチョンミート」という食べ物を食べたことはあるだろうか。実際には、香辛料などを加えた挽肉を金型に入れて固めたものを、オーブンで加熱後に冷却して保存性を高めたホームメイド・ソーセージの一種であるらしい。(Wikipedia参照)ここでは、「スパム」とよく言われている紺色の缶の中にピンク色のあの食べ物だ。私の地元沖縄では「ポーク」と呼ばれ、多くの人から長く愛され続けている、沖縄の家庭料理には欠かせない食べ物だ。沖縄で「ポーク」が流通し始めたのも、戦後食糧難で肉が希少な食べ物だったころに米軍経由で沖縄に広く流通し始めたものだと小さな頃母から聞いた。

チューリップのポークの缶

私の家ではスパムではなくチューリップというメーカーがいわゆるポークだ。「ポーク買ってきて」と母におつかいを頼まれると絶対にチューリプのマークがついたポークを買っていく。それが私の家での当たり前だった。幼少期、母のお手伝いをするのが大好きだった私は、特にポークを開けることが楽しみだった。ポークを使う日は、私の好きなメニューだったからだ。「今日はゴーヤーチャンプルーだよ」と言われるとキラキラしたポークの缶をもってキッチンにある踏み台に登って母が来るのを待っていた。しかし、このポークの缶、開けるのがとても難しい。底についているカギ状の器具を使って本体についている切れ目に沿ってくるくると巻いていくのだ。幼い私には到底できることじゃない。何度も何度も失敗し、ぐちゃぐちゃのまま母に渡す。だけど母はきれいに缶詰をいつも開けるのだった。開けたあとは母にカギ状の部分を外してもらって、その部分だけを持って「魔法のカギなんだよ」と家族みんなに自慢していた。魔法のカギさえあればなんでもできると思っていた。

魔法のカギ

いつ魔法が解けたのかわからないが、自分で開けれるようになった缶詰はキラキラしなくなったし、底についているあの魔法のカギもいつの間にかただのカギ状の器具になってしまった。そのうえ、いつの間にかゴーヤーチャンプルーには豚の薄切りを入れるようになっていた。母に「きょうはポークにする?」と聞かれても「豚肉が良い」とこたえるようになっていた。上京してから、実家から仕送りのはこの中にポークがよく入っていたが、食べずに友人におすそ分けすることも多かった。キッチン下の収納棚の奥に眠っているポークたちは、おすそ分けの残りだ。いつしか、「ポークはまだたくさんあるから入れないで」とまで言うようになっていた。

最近ふとした瞬間に魔法のカギのことを思い出すことが多い。特にとてもつらかった就職活動の時によくカギのことを思い出していた。もしかすると、カギを持てばあの頃の純粋な気持ちを取り戻せるのではないか。すべてのものがキラキラして見えたあの頃に戻れるんじゃないか。と思うこともあった。何でもない器具でさえも、なんでもできると思えるあの想像力。きっと誰もが幼いころに持っていたあの純粋な気持ちって、どうして年を重ねるうちになくなってしまうんだろうといろいろな気持ちを膨らませていながらも私はキッチン下の収納棚のポークの缶を未だに開けない。きっと卒業までにまた、沖縄から届くことはないだろう。

しばらくして見つけては、はっとなる。でも気づかないふりをしてまた奥にしまう。きっと開けて食べれば、いろんなことを思い出させてくれるはず。小さい頃大好きだったあの味は、もう私の舌には物足りないものになってしまった。長年の月日がそうさせたのだ。

キラキラした記憶は私の胸をはずませる。どこかに忘れてきた「純粋な心」がきっとチューリップのポーク缶の底に隠されているはずだ。

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