黒い線と四角と緑の絨毯

kokeko
exploring the power of place
4 min readSep 19, 2020

がたごととゆられるからだ、顔にびゅんびゅん当たる風、まどの外に目をむけると見渡す限り田畑。特に変わらない風景、強いて言えば、電線の重力に負けている部分とぴんと貼ってる部分によって、黒い電線が四角いフレームの中を上がったり下がったりしている。

幼い私は、メモ帳を開きセッセとお絵かきを始めたが、両親は「まどのそとをみなさい」と声をかけてくる。ぶすっとしながらメモ帳を閉じる。そして顔をあげる。

これが私の夏休みの思い出。

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ほぼ毎夏に北海道に出向いていた我々家族は、いい感じの牧場にいきソフトクリームを食べるわけでもなく、気球に乗るわけでもなく、海鮮を満喫するわけではなく、そのほとんど、電車にのっていた。(正確に言うと、父の趣味に付き合わされ廃線跡を辿っていた)おばあちゃんがゆっくり走っている電車のことを「だら汽車」と読んでいたが、そのだら汽車にのって、北の大地をほぼほぼ1日かけてゆっくりと進んでいたのだった。

稚内、根室、夕張、名寄、深川、幾寅、釧路、紋別、別海、羽幌… 耳覚えのある駅名をあげる事はできるけど、何線に乗ったのかや深い歴史についてはあまりしっかり覚えていない。我ながらよくついていったと思う。ちなみに、みかねた両親が自分にビデオカメラ係を任せてくれたため、記録としては残っているはずである。かつて栄えていた夕張の街の様子をみて驚いてみたり、高倉健が結構好きになったり、音威子府そばが全然美味しくなかったりとなかなか渋めのよい思い出も沢山ある。でもやっぱり、あの車窓が一番印象に残っているのだ。

2020年私たちは「移動」のコストやらリスクやらを自覚した。

「今まで満員電車で人にもみくしゃにされた通勤はなんだったんだ」「移動しなくても、すぐにベッドにいけるから最高だ」といろんな声を聞く。例に漏れず、私もその1人だった。もともとスポーツをするタイプでもないし、長時間じっとしてる事にはなれっこなので、ストレスはそこまでなく、家の中にてじっとしていたのだ。電車にもほとんど乗らず、極力自転車で移動していた。「これでいいのだ」となんどもなんども口にした。

そして大学院の論文も書き終えた、カメラをつかった研究だったので映像を作ったがそのときになんども悩まされたのは画面のゆれだった。「ああ、なんでこんなに揺れちゃうんだ、見る人が酔っちゃうからつかえない」となんども映像を切った。

振り返って見ると、じっと椅子に座りながら、自分のまわりから、画面から、ゆれを無くしていった。つまり、止まったままの世界で生きていくという事を受け入れ、疑う事すらやめてしまったのだった。

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この前、出張という事で少し遠出をする機会があった。こんな時期だし、不安もありつつだが、仕事だしそうも言っていられないな。。とかなり、かなり重い腰をあげて、完全防備でその場所に向かった。実に半年以上ぶりの遠出というやつである。

電車に乗り込み、窓に目をやると、どうにも懐かしい四角がそこにあった。

おや。と、しばらく思考停止していると、発車のベルが鳴り、からだが背もたれに押し付けられる。視界が揺れる、音が心地よい。

大学院生の私は、移動中に作業をしようとして開いていたパソコンをまっさきに閉じる。そして顔をあげる。黒い線が上下する、田畑がそよぐ。。。。

スマホが普及してから、ガムの売り上げが落ちたのは、暇つぶしがへったからだ、というのは有名な話だが、多分窓も汚くなっている。理由は、誰も車窓をみないからだろう。。。

そんな風に過ごしていて、気づいたら、目的地についていた。

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自分の中で失われていたものを取り戻した気がした。忘れてはいけない感覚で、背中を押してくれるものだった。ただ「これでいいのだ」といってどっしりと腰掛けて、動くことをやめてしまった自分を元気付けてくれたのだ。半年間で、図らずも止まってしまっていた時計が少しだけ動き出したような気がした。

「落ち込んだら、乗せてください。」

ホームの端に立ち、私はどんどん姿が小さくなるだら汽車にむかって小さく呟いた。

これも私の夏休みの思い出。

空気のまた、おいしいこと

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