6月4日

Saki
exploring the power of place
4 min readJun 19, 2020

— — 2020.06.04

今年もこの日がやってきた。だけど、今年はいつもとは少し違っていた。

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今、私は新型コロナウイルスの影響で自粛生活を送っている。4月7日に東京に緊急事態宣言が発令されてから、この生活は始まった。現在ではすでに全国的に緊急事態宣言は解除されたものの、大学も春学期は全面オンラインでの授業だと発表されたため、基本的に外出することはなくずっと家の中にいる。そのため、顔を合わせて話すのは家族のみで、あとは授業のグループワークメンバーとパソコンの画面上に顔を並べるぐらいである。

そんな中で迎えようとしていた、6月4日。私の21歳の誕生日。ただ、今回は10代最後でもなければ、ハタチという区切りの年でもないから、そんなにも特別感はないだろう…と思っていた。しかし実際は、誕生日の2週間前からなぜだかものすごくワクワクしている自分がそこにはいた。

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そしてついに誕生日当日。今年は例年とはいくつか異なる点があった。

この日は夕方に、私と5日後に91歳の誕生日を迎える祖父とのリモート合同誕生日パーティーが予定されていた。そのため、朝からオンラインで授業を受けている私を横目に、母は例年だったら絶対にしない"Happy Birthday"の文字が書かれた装飾やド派手なバースデーカチューシャをせっせと用意していた。どうやら直接会ってお祝いできない分、"オンライン映え"を狙って準備したようだ。こんなことを意識するのも、この時期ならではだ。

そして、何よりも大きく異なっていたのは、私自身の誕生日のふるまいだった。今までの誕生日はどちらかといえば "祝ってもらえて嬉しい!" という気持ちが大きかったのだが、今年はそれよりも先に大きな感謝の気持ちが押し寄せて、朝から何度も溢れ出す涙をこらえようとしている自分がいた。もちろん、今までも感謝の気持ちがなかったわけではないが、今年はそれが自分でも驚くぐらい、いつにも増して大きかった。

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この日の夜に一日を振り返ってみるとあることに気づいた。ひとつは、お祝いメッセージを送ってくれた人たちに、誰にでも当てはまる言葉で返すことなく「○○さん」だけに向けたメッセージを添えて返信していること。そしてもうひとつは、一日を通して両親にはことあるごとに、ありがとうと伝えていたことに気づいた。最初は、大人への第一歩?なんて思ってみたりもしたが、おそらく一番影響を与えたのはこの自粛生活であると私は思う。

この自粛生活が始まってから、私たちにとっての今までの「当たり前」は、決して当たり前ではなくなった。大学の在り方や、休日の過ごし方などはもちろんだが、何より一番大きかったのは当たり前に友人と過ごしていた時間がほとんどなくなったことだ。普段なら、偶然キャンパスですれ違ったり、授業の休憩時間に近くにいた友人と話をしたりなど、約束をせずとも偶発的にコミュニケーションが生まれていた。しかし、オンラインとなると約束をした上で決まった時間に集まったり、授業の休憩時間にはマイクオフ・カメラオフで今までつながっていた空間が一気にシャットアウトされてしまったりなど、自分の予測を超えたコミュニケーションは生まれない。

このような生活を送っていく中で、私は友人との繋がりが決して当たり前ではないことに気づかされ、きっと今まで以上に友人をはじめ今まで出会った人たちとの繋がりを感謝する誕生日になったのだと思う。コロナの"おかげ"とまでは言わないが、このような事態が起きなければ私はこのありがたさに気づけないまま、またひとつ歳を重ねていたと思う。

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全ての出来事には意味があり、それをどう捉えるか次第で私たちの見える世界、これから歩む世界はきっと大きく変わるだろう。

…なんてことを考えるなんて、やっぱり少し大人に近づいたのかもしれない。笑

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そんなことを思う、まだまだ子どもの21歳の誕生日であった。

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