9月の線香花火

堤飛鳥
exploring the power of place
4 min readAug 9, 2020

「もう夏か。」

窓の外を眺めながらふと考える。家にいる時間が増えてから、昼間は部屋の電気を消し窓を開けて過ごすようになった。基本的に見える景色は空だけなのだが、いつもと同じ青空からセミの鳴き声が聞こえてきた。思えば今年は季節の変化の感じ方が少し違うような気がする。春は桜を見に行こうと友達と話していたが、ちょうどコロナの影響で中止になった。散歩にすらほとんど出ず家にいたため、気づくと春は過ぎていった。最近、ずっと続いていた梅雨が終わり、突如夏が思い出させるように現れた。夏生まれの私だが、暑さにはめっぽう弱くあまり夏に対しては良いイメージがない。けれども夏らしいことはすごく好きだ。春を逃した反動からか、日々夏らしいことをしたいと感じている。

バイトの帰り道、アイスを買うためにコンビニに寄った。入り口付近に花火が並んでいるのを見かけた。線香花火は、あの夏を思い出させる。うちを飛びだしたあの夏。

高3の夏。9月の中頃。21年間の人生で最も憂鬱だった時期だ。受験生にとって関ヶ原の夏と言われるほど、周りは受験モードだった。かくいう私もその受験生の一人だったのだが、受験勉強以外の悩みを抱え、本腰を入れることができずにいた。高校では学園祭に向けた準備が進められていたが、その運営の中心となる生徒会が、人間関係の揉めから上手くいっていないようだった。昨年生徒会長を務めていた私はすでに引退したのだが、急遽呼び出され、学園祭の運営と生徒会を立て直すという2つの役割を担うことになった。また家に帰ると、決まって親から学費の関係で大学に通わせることは難しいと話を受けた。もちろん私自身もわかっていたことであり親が話すのも当然のことなのだが、様々な不安や悩みが積み重なってそれを整理して考える余裕は私にもうなかった。夕食の食卓の場で、ただ泣き出してしまった。その後パジャマの格好のまま、机の上にあった定期券と200円の小銭、あと置いてあったぬいぐるみを持って家を飛びだした。ただ何かから逃げたかった。その衝動で飛びだしてきたわけだが、当然どこかに行くあてもない。とりあえず電車に乗って、いつも乗り換えている少し遠くの駅まで向かうことにした。よくわからない感情の中、友人に「家を出てきた。」というLINEを送った。駅を出ると、友人がそこにいた。飲み物を買い、近くの公園に行った。話をしているともうすぐ終電の時間ということになった。帰るかどうかの選択肢を迫られたが、バイト終わりだった先輩から「電車でもうすぐその駅を通るから乗れ」というメッセージが届いた。そしてその日は先輩の家に泊めてもらうこととなった。

家に着いた頃にはもう日付が変わる頃だった。親から「大丈夫?」と送られてきていたので、今日は帰らず家に泊まるという連絡をし、了承を得た。その先輩とは中高と同じ学校に通い、同じ部活、生徒会にも所属した仲であった。これまで抱えてきた悩みを全て吐き出した。自分の中で誰にも言わず抱えてきたものが、1つ崩れると全て崩れていくのを感じた。気づくと朝の3時ごろ。明日もあるので寝ようとなったが、その前に線香花火をすることになった。「そういえば今年まだ花火してない。」「線香花火が残ってるよ。」という会話がきっかけだったと思う。三本だけ残ってた線香花火を持ってテラスに出た。あたりはまだ暗く、少し霧がかかっていたが、どこかその景色に安心感を覚えた。火をつけ、どっちが長く点いているかと競った。優しく、力強く線香花火は弾けた。何も考えず、ただ純粋に楽しんだのはいつぶりだっただろう。あの日見た線香花火は多分一緒忘れない。

次の日はせっかくなので先輩の大学についていくことにした。「今日は高校休む。大学に行ってくる。」と親に送ると、「楽しんでね。」と顔文字付きで返信があった。今日はちゃんと帰ろう。寝癖が酷かったので帽子を借りて、ぬいぐるみ片手にパジャマ姿で授業を受けるという、今思うと黒歴史なのだが貴重な経験だった。

コンビニから出ると、少し湿気の混じった香りがした。夏らしいモノというのははなんであんなに柔らかく、そして儚いのだろう。なんだかんだ私は夏が好きなのかもしれない。そんなことを思いながら、アイスの棒を咥えて家に帰った。

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堤飛鳥
exploring the power of place

写真はゆのさん(@_emakawa) mediumと卒プロの記録。