5秒

Yusuke Wada
exploring the power of place
4 min readFeb 10, 2017

♨︎ 2017年1月14日 16時14分

「いらっしゃいませ」

『あら、間違えた。あとで20円持ってくるから、俺の顔覚えとってな』

「あっ、はい。わかりました」

神奈川県の銭湯の入浴料は470円。ほとんどのお客さんはきっちり470円、手に握ってやってくる。夕方16時過ぎ、一人の男性がやってきた。歳は50代前半くらい、メガネをかけていて身長が高い。手に握った小銭をパッと確認し、「あら、間違えた」と一言。そこには450円しかなかったのだ。男性は、100円玉5枚で合計500円持ってきたつもりでいたが、その内の1枚が50円玉だったため20円足りない事態になってしまった。どうするのだろうかと思っていると、「後で20円持ってくるから、俺の顔覚えとってな」と言って、さっと脱衣場への暖簾をくぐる。約40分後、すっきりした彼が出てきてもう一度「後で持ってくるから」と言って帰って行った。不思議な感じだ。お店よりお客さんの方が圧倒的に強い。番台としては彼の言葉を信じて待つしかなかった。少し緊張しながら彼を待っていると、1時間ほど経った後、20円を手に握って彼が帰ってきた。「ごめんね」と言いながら20円を出す彼の口元にはご飯粒がついていた。

♨︎ 2017年1月14日 17時22分

『いま、何時?』

「えっと、17:22です」

『次のバスが36分でしょ。今日は寒くて湯冷めしちゃうと困るから、中で待っていたいんだけど、テレビに時間うつる?』

「表示できないみたいですね。30分になったらお声かけしますよ」

『じゃあ、お願いね。どうもありがとう』

お風呂を上がった先の休憩スペースには時計がない。正確に言うと、あるのだがズレてしまっている。歳は60代半ばくらいで、メガネをかけた女性のお客さんがお風呂上がりに尋ねてきた。時計がズレているのでお客さんもそうだが、ぼくだって時間がわからない。結局スマホの時計を頼りにするしかなかった。番台にはなっても、タイマーになったことはないので、少し緊張して1分おきにスマホを確認してしまう。おかげで、30分になるのとほとんど同時にそのことを伝えることができた。

『あぁ、助かったわ。ありがとう。じゃあ、どうも〜』

今日は本当に寒い。そんな日は、お湯が余計に温かく感じる。なんだかそんな気分になった。だから、ズレている時計はズレたままにしておいた。

♨︎ 2017年1月21日 19時37分

「いらっしゃいませ」

『いま誰もいないから大丈夫よね。ちょっとここ撮っても良い?』

「はい、大丈夫ですよ」

『おぉ、いい感じ。せっかくだからお兄さんも撮って良い?』

「えっ。あぁ、ぼくで良ければ…」

『あぁ、うれしぃ。じゃあ、お借りしまーす』

「はーい」

18:15からの夜シフトで番台に入ってから1時間後のことだった。突如撮影依頼が舞い込んだ。歳は40代後半くらいの女性で、夫婦で来ている。その様子から、うちの銭湯へは初めてきたようだ。もう60年以上経つ銭湯なのでかなり趣はあるが、休憩スペースを撮影する人は珍しい。ましてや番台のぼくがモデルになるなんて前代未聞だ。旦那さんは奥さんのこの一連の行動にほとんど見向きもせずに会計を進める。きっといつものことなのだろう。撮影を終えてからも、相変わらずごきげんな様子で『お借りしまーす』と脱衣場へ向かう。銭湯に入るとき、「お借りします」と言うのは常連だけだ。そんな奥さんのおかげで、ぼくは5秒間だけモデルになったのだった。

これは、ある日の銭湯の様子だ。タイムラプスカメラを使って番台の様子を撮影した。カメラの設定は、[5秒に1枚の撮影]である。たまにほんの一瞬人らしきものが動くが、番台で長く立ち止まる人はほとんどいない。[5秒に1枚]の設定では、ほとんど人が写らないのだ。このことは、銭湯を利用するお客さんの平均受付時間が5秒未満だということを示している。しかし、このたった5秒のコミュニケーションは、到底5秒では語りきれない。そこには、これまでに積み重ねられてきた「5秒」があるからだ。ぼくたちが普段無意識にとる行動は、すべて経験によって身についてきたものである。靴を脱ぎ、靴箱にしまい、番台で470円を支払って、脱衣場への暖簾をくぐる。言葉にすれば単調だし、写真に撮れば同じような記録に見える「5秒」も、人それぞれじつに様々なストーリーをぼくに見せてくれるのだ。

これは、週に一度番台を務めるぼくが体験した、5秒のはなしである。

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