「LINEでいいじゃーん」

kokeko
exploring the power of place
4 min readMay 19, 2020

「お父さんとこんなに長い時間一緒に居たの、初めてかもしれない。」と母親は言った。昔っからバタバタしていた父の姿をこんなに一日中みたのは、結婚後どうやら初めてだったみたいだ。でも、うちの家族はみんな多忙でもLINEで沢山話しをするし、そこまで驚くことはなかった。

2020年2月ごろから、 コロナウイルスの蔓延によって、私たちは家にいることが常になった。職場や大学の機能は全部家に、友達とは対面で会うことができず、買い物もできるだけ控え、テレビからは毎時間毎時間「新型コロナウイルス関連」のニュース。

そんな風に毎日を過ごしていくなかで「コロナを機にめちゃくちゃ家族と一緒に過ごすことになるのか!」とハッとしたのは3月の下旬くらいだった。なかなかない機会だし、よくよく家族の事を観察できる!と思い、ちょっとした家族の観察が始まったのである。

まずは犬である。我が家の犬にはちょっと変わった癖があり、下の写真のように自力で布をひっぱってそこでリラックスしている。

赤い猫の柄の毛布をひっぱっている犬

これをみた以前の私は、またくしゃくしゃにして〜〜。と思って、他のところに行っているあいだに元に片していたりした。しかし、よくよく見てみると、もしかしたらこの子はフローリングのような硬いところが好きじゃないから、自分で床につかないような工夫をしていたのではないか?と思うようになった。試しに、今の季節にはちょっと暑いけど、フワフワした布を渡すと、その上でのんびりとくつろぎ始めたのである。長い時間ずっと犬の様子を見ていなければ、布がつっぱっていることも、硬いのが好きでない事にも気づいてあげられなかっただろう。

母は、この自粛期間中には家族全員分の食事を用意してくれている。そんなこんなで、3食全て家で取る事になったので、食べ物がどのようにマネジメントされているのか、その中の母の工夫に気づく事となった。母は随分量が多い料理を作る人であり、私はいつも「こんなに食べられないよ〜」と文句を言っていた。他にも、具が大きく切られていて「具がおおきいよ〜」ともごもご言っていた時もあった。しかし今回、3食続けて食べる、つまり大きな循環(朝、昼、晩…)の中の1食として料理を見てみると、食べ物の無駄が無いように多めに作っていたり、具がべらぼうに大きいのではなく、食感を楽しむための工夫だったり、という事に気づく事ができた。

父は、犬によく吠えられる。しかも深夜に。その時は、犬にちょっかいをかけていると思って、「起こしたらかわいそうデショ!」と私も吠える。確かに犬の寝顔は可愛いし、見たくなるのはわかるが、それで起こしてしまっては本末転倒じゃん!とプチ喧嘩をしていた。しかし、よくよく見てみると、犬がいるケージと廊下の部分のスペースが狭く、廊下を突破するにはケージを少し内側に入れないといけない事になっていたのだ。(夜は広々と犬を寝かせてあげたい早寝の母の意向で廊下全体にケージがはみ出していたのである)そして、その深夜の時間帯にその廊下を通るのは父しかいなく、狭くなっていた廊下を頑張って通ろうとしていた結果、犬にも娘にも吠えられていた訳であった。

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こんな本当に些細な事を観察していった結果、家族のプチ喧嘩が減った。言葉を交わす総量はおそらくほとんど以前と変わっていないけど、物理的に空間を共有することによる観察によって、まだまだ知らない家族の一面を発見することができて、理解することができた。

LINEやビデオ通話が当たり前になることによって「言葉」の交換の可能性は無限に広がったと思う。だけど、同じ空間で過ごしているからこそ、気づく些細な事柄から得られることがまだまだたくさんあった事を知った。そして、コミュニケーションはなにも、言葉と言葉の交換だけでなかった。新聞紙を机の上に置いておくとか、靴を揃えて置いておくとか、そういう「ふるまい」もコミュニケーションなのだな、と感じた。この自粛期間中に、「LINEでいいじゃーん」でこぼれ落ちていく何かに初めて出会った気がする。

最後に、余談だが、オンラインの打ち合わせをしている時、たまに家族がこの棒を持って部屋にくる。以前の私だったらこう言っていただろう。
「LINEでいいじゃーん」

画面外で、チラチラさせてくる。

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