thank you, blackbird.

ハナワヨシノリ
exploring the power of place
5 min readAug 19, 2017

高校を卒業するまでの18年間、僕は茨城で過ごしてきた。生まれはひたちなか市だが、高校は水戸にあった。僕の住んでいる場所は丁度2つの市街地の中間にあったので、電車ではなく自転車を使って、毎日片道10kmの距離を通っていた。10kmもあると、3ルートぐらい通学路があって、その日の気分によって通る道を変えて登校していたが、土曜日の半ドンの帰りは決まって水戸の市街地を通る。そして、時々お昼にイタリアンのお店を通りかかり、ランチにパスタを食べた。

そのパスタ屋が、7月末で終わってしまうと連絡が来た時、何度もそのメッセージを見返した。

初めてその店に足を踏み入れたときのことを思い出した。確か中学3年生くらいだった。何かのイベントがきっかけで店に入り、ワクワクしたのを覚えている。まだ高校生だったけれども、雰囲気が心地よくてなかなか帰らない僕のことを、追い出さずに残してくれたりもした。「ハナワくんは食べるでしょ?」と、大盛りをサービスしてくれたりもした。Trattoria blackbirdというその店は、The Beatlesのblackbirdから取ってきた名前で、店主のヌマタさんはもちろんビートルズが好きだ。村上春樹も好きで、時々どれが面白いとかを聞いたりもした。

高校1年生の頃のハナワ(blackbirdにて)

「1人で来てる常連さんで、一番若いのは君だよ」と言われたのを思い出した。店主のヌマタさんからの言葉が嬉しくて、よく友達を連れてっては紹介していたことを思い出す。名前も顔も覚えてもらったお店というのが嬉しくて、いつもお店に入るとヌマタさんの顔をみて「どうも」とか「こんにちは」とか(常連らしく)言っていた。高校生なのでそんなに頻繁にお店にも行けるわけでもなかったが、それでも僕もよく行く店を聞かれたら真っ先に思い浮かぶし、ヌマタさんも常連と認めてくれていた(もしかしたらいい迷惑かもしれないが)。

そういえば、僕の数少ない得意料理のペペロンチーノは、ここの料理教室で習ったと思い出した。ここの料理教室に通うようになって、道具が欲しいと思い立ち、かっぱ橋道具街までアルミのフライパンを買いに行った。料理に興味を持たせてくれたのは、ブラバのおかげだろう。

大学に進学してからは、いつもみたいに行くことは無くなってしまった。けれども、地元に帰ってどこに寄ろうかと思い立った時、ついついblackbirdでご飯を食べたくなった。「同じ店にはなるべく行かない」というポパイ編集部の言いつけは、blackbirdに対してはあまり効力を発揮していない。

「ハナワ君と会った時、まだ中学生だったよね(笑)」
「もうすぐ20歳になっちゃいますよ、僕も」

という会話を交わしたのは今年の春で、まだもうちょっとだけ、足繁く通えると思っていたのだが、結局最後になってしまった。

7月のクロージングパーティーも、仕事が被ってあいにくの欠席。それでも、他の人から「あれ?来ないの?」というメッセージを受け取ったり、行った人から「そういえばハナワ君いないね」と話題に上がっていたよと言われたりしたので、もう参加したと言ってもいいだろうか。

店はいつもそこにあって、いつも変わりなく営業していると思っていた。まだあと20年は、あの場所でパスタが食えると思ってたし、僕が二十歳になったらワインを嗜めるものだと思ってた。もちろん、飲食店は食べるため(生活するため)に営んでいるものであり、店を閉めるからと言って僕らがどうこう言えることではない。ましてや、僕は他の常連の方々と比べれば歴も浅いし、使うお金も少なかったからなおさらだ。でも、僕にとってはただの飲食店ではなく、僕の中のカルチャーの一端を担っている。エゴと言ったらそれまでだが、やっぱり無くなるのは寂しい。

でも、ヌマタさんは亡くなってしまったわけではないし、常連の皆さんもまたどこかで集まることができるだろう。暗く黒い夜の中で飛んでいた黒い鳥は、山形に行ってしまったが、それは僕が山形に足を伸ばす機会が増えるに過ぎず、灯りの下にまた集まるだけかもしれない。

地元の花火大会が始まる前に通りかかったら、消えていた(8月4日)

本当はまだ空いてんじゃない?とか思いつつ、店の前を通りかかったが、やっぱり灯りは消えていた。「お疲れ様でした」と南町三丁目の黒い店舗に声をかけつつ、まだ見ぬ山形に想いを馳せる。山形は鶴岡で、またblackbirdという店舗を開くそうだ。

僕はただ、また始まる瞬間を待っている。

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