お盆のよるに

Sakura Shiroma
exploring the power of place
5 min readSep 10, 2016

「また、来年のしちぐゎちにめんそーりよー」(また来年の7月にいらっしゃい)

こうして今年の沖縄夏の風物詩、「旧盆」が終わった。私は産まれてから21年間、この行事を欠かしたことは一度もない。一般的に「お盆」と言えば「お盆休み」を連想する人も多いのではないか。日頃の疲れを癒したり、バカンスに行ったり、実家に帰省したり、海やプールのレジャーを楽しんだりする人も多いと思う。しかし、沖縄の「お盆」の時期にそのようなことをする人はほとんどいない。沖縄での「お盆」は一年間の行事の中でも最も大切と言っていいほど重要で大事なご先祖様を供養する日となっている。

そこで、今回私は沖縄のお盆について紹介したいと思う。沖縄のお盆は、旧暦の7月13日から7月15日までの三日間のことをいう。それぞれを「ウンケー」「ナカビー」「ウークイ」といい、三日間を過ごす。「ウンケー」はお迎えという意味で、ご先祖様をお迎えする日。「ナカビー」は真ん中の日という意味で、多くの人はお中元などを片手に親戚の家などに挨拶回りをする日。「ウークイ」はお送りという意味で、ご先祖様を送り出す日。そしてその日に親族が集まり、夕飯を食べながら、ご先祖様と一緒に過ごす最後の日となっている。基本的にお盆の間は「トートーメー」と呼ばれる沖縄のお仏壇は閉まることなく開かれており、祭壇には果物を中心としたお供え物が常に供えられている。

トートーメー(お仏壇)とお供え物

また期間中は毎日朝・昼・晩とお仏壇に食事をお供えし、ウサンデー(お供え物を下げること)してから、家族みんなで同じものを食べる。また、この三日間のうちに沖縄の伝統芸能である「エイサー」をしながら地域の青年団などが道路を練り歩く「道じゅねー」という行事も一緒に行われる。そんな賑やかで、忙しい三日間が続く。

いつもは仕事などで忙しくてお仏壇に手をあわせることのできない人でも、お盆になると、親族一同が集まり、お仏壇に手を合わせる。沖縄のお盆はそんな日なのだ。

「今年のお盆は、三日間母につきっきりで家の手伝いをしてみよう。」帰省中にふとそう思った私は、三日間、いや、前日のお盆の買い出しから母と一緒に「沖縄の旧盆」なるものを経験してみた。社会人になってしまってからはきっと100%手伝いをすることはできないだろうと考えたからだ。昨年までは、帰省のタイミングが合わず、一日しかお盆ができなかったり、中高生の頃は部活動で「道じゅねー」に参加していたり学校の授業があったりとなかなか都合が合わず、丸々手伝いをすることができなかった。実際に手伝ってみると、私が想像している以上に準備する物も、やることも、しきたりなども多くかなり驚いた。「今日はナカビーだからこれをお供えしないといけない。」「どんな時間にどんなことをしないといけない」などとめまぐるしい三日間だった。

三日間を終えて、この家に嫁いでから30年間、曽祖母の教えは受けたものの、ほとんど一人でお盆の準備等をしてきた母に尊敬の意と感謝の気持ちでいっぱいになった。お盆の片付けが落ち着き、疲れきっていた私がふと母に「なんでこんなにきついのにこんなに一生懸命にできるの?」と問いかけたら母は、「今の生活ができるのって全部ご先祖様のおかげでしょ?あなたが産まれてこられたのも全部そう。感謝して、その気持ちを返すだけよ」と答えた。「産まれた頃からずっとしていることなのに急にどうしたの」と母は笑った。そんな話をしていると、父が、「お盆だからって集まっているけど、こうやってお盆に集まってみんなと仲良く話ができるのも、ご先祖様のおかげなのかもな。」と言った。

夕食前にお仏壇に家族みんなで集まって手を合わせているところ。

物心がついた頃には当たり前に行われていたお盆も、今年でもう21回目。21回してきても「なんでこうしなきゃいけないのか」とか「こういう風にする意味」とか知らないことだらけだった。だんだんと祖母や母は年を取ってきていて、このままだと誰が次を担っていくのか。ふと不安になった。私が何も学ぼうとしない限り、こうやって伝統って消えていき、消えずに続けていけても、なぜなのかとか深い理由を知らずに適当に伝統をつないでいってしまう。と悲しいような、悔しいような気持ちでいっぱいになりった。「私がやらなきゃ。私がつないでいかなきゃ。」そんな責任感とともに、今年のお盆は幕を閉じた。

知らなければいけないこと、知っておかなければいけないことって世の中にどれだけたくさんあるのか。

「家族の輪って大事だな。」そんな話の最後に父は言った。きっと、その「輪」を広げ、つないでいくのも私なのだろう。少し、数年後の「お盆」が楽しみになった。

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