バレーボールと仲間、岩田聡さんとぼく

Masaki
Masaki
Oct 8, 2016 · 7 min read

16歳の自分が、勇気を出してバレーボールに挑戦したときから、31歳のいまに至るまで得てきたものについて、書きます。

— — — — — — — — — — — — — —

2016/10/8(土) 早朝

バレーボールの試合が来週末に迫ってきている中、身体の動きのトレーニングがしたくて1年ぶりくらいに代々木公園のバスケットコートに行った。

動きのトレーニングを少ししてから、久しぶりにリングに向かって跳んでみたら、思ったよりもずっと跳べた。
ダンクできるんじゃないかと思ってバレーボール掴んでやってみたら、できた。
iPhoneで、動画を録ってみた。

— — — — — — — — — — — — — — —

時間は遡る。

15年前。子どもの頃から、ずっと球技が苦手で、瞬発系の動きが全くできなくて、生涯、この球技コンプレックスを引きずるのかと憂鬱だった、高校1年生の春。

部活の新歓期に、たまたま足を踏み入れた体育館で、3年の先輩5人しかいないバレーボール部に出会った。
そこで、何を思ったのか、一番苦手としか思えないバレー部に入ってしまった。

実際上達は遅くて、自分だけが何ヶ月経ってもパスすらできなかった。
そして、瞬発力が致命的なくらいになくて、スパイクがいつまで経っても打てなかった。打とうとしても、ボールが上に飛んでいく!

でも、バレー部の同期の仲間たちが、そんなぼくに、根気強く、教え続けてくれた。
仲間がいたから、初心者でダントツ下手だったぼくも、3年間バレーを続けることができた。
最後にはブロックという自分の武器も手に入れた。うまい後輩がたくさん入ってきたこともあり、公式戦にはついに出る事はなかったけれど。

そして、体育館で練習のたびにいつも見上げていたバスケットリング。
こんな高いもの、手が届く訳がないと思っていたし、事実どんなに跳んでもまったく届かなかった。

バレー部の仲間うちでは、バスケットリングに跳ぶことは、趣味と実益を兼ねた何よりのトレーニングだった。
だんだん跳躍力がついて、同期は1人、また1人と、リングに触れる、人によっては掴めるようになっていった。

が、もちろん僕はいつまで経っても届かなかった。
いつかはダンクしてみたいと夢を見ていたけれど、はるかに遠い夢だった。

でも高3のときに、遊び半分で、片足で跳んでみたら、なぜかすっとリングに触ることができた。
バレーボーラーとしては役に立たない能力だったが、ダンクしたいという夢が叶う手がかりになった。

そして、受験に落ちて、浪人時代。
予備校をサボって(両親に詫びます)、ジム通いとトレーニングを重ねた結果、1浪の後に入ったバレーボールサークル時代に、ついにダンクできるようになった。
リングに遠く届かなかったあの日の目標がついに達成できた。

それから10年以上が経っていま。
身体能力は20歳の頃よりは相当衰えては来たけれど、集中して体重を落としてトレーニングをすれば、今でもダンクができる。バレーボールなので、そこはご愛嬌ではあるけれども。

そして、いつの間にか球技コンプレックスもなくなって、どんなスポーツも楽しめるようになった。
バレー部の3年間は、ぼくの考え方をすべて変えてくれた。

あのとき。高1の春。
勇気を出してバレーボール部に入って、バレーボールを続けて本当に良かった。

瞬発力がない、球技が苦手という自分の意識の壁を乗り越えられたのは、仲間とバレーをした日々のおかげ。

そしていま。
30歳を越えても、身体を動かしたい!スポーツしたい!挑戦したい!
そう思えるのは、何よりいまのバレーボールチームの仲間がいるから。

年に4回の試合のたびに。3週間前からチーム練習を始めて、なんとか試合まで持っていく。

サークルのメンツで、同い年のメンバーが多い。
年を重ねて、大学生のときほどは俊敏に動けなくなったけど、代わりに皆メンタリティがだいぶ強くなったので、バレーボールという種目の特性として意外と高いチームパフォーマンスが発揮できている。
気心知れたこのチームでバレーボールをしているときは、本当に充実感がある。生きていると感じる。

来週の試合、本当に楽しみだ。

Team Members

— — — — — — — — — — — — — — —

バレーボールは本当に特別なスポーツ。

改めて、それを強く感じたのは、つい3ヶ月前のこと。
最も尊敬する、故・岩田聡さん(任天堂前社長)に関係している。

実は、岩田さんは、高校時代バレーボール部員だった!

中学時代まで合唱部だった岩田さんは、なぜか高校でバレー部に入る。
ポジションはセンター。
選手としてはそんなに上手くなかったので、公式戦に出ることはなかった。ただし、データ分析が得意で、チームメイトによく励ましやアドバイスを送っていた。

そして卒業後も、岩田さんはバレー部の仲間との付き合いを本当に大切にされていた。任天堂社長として多忙な中でも、時間を作ってバレー部の仲間たちと会っておられた。

亡くなった2015年7月11日は、奇しくも、バレー部の同期の集まりが予定されている日だった。

まさか!
自分が一番尊敬している人がバレー部で、同じセンターをやっていたとは!

僕は本当にびっくりして、そして心から嬉しかった。

ただ、これをもっと早く知っていれば…。
2013年以前。ぼくが任天堂の社員だったとき、社内で岩田さんに何度かお話しする機会があったが、あのとき、雑談でバレーボールの話ができたら良かったな。

それは叶わなかったけれど…。
でも岩田さんがバレーボール部の経験と、部活の仲間を生涯大切にされていたと知ることができたのは、本当に良かった。

この話は、すべて、今年7月に発売の電子書籍「岩田聡の原点」に書かれている。岩田さんの高校の同級生の方々が編纂されたもの。

岩田はコツコツと練習に励み、終了後もほかの部員と一緒にバスケットリングに向かってジャンプの練習をしていた。

この文に、心がふるえた。自分と岩田さんが、高校時代にまったく同じ経験をしていたことに。

「ゲーム界のトップに立った天才プログラマー 岩田聡の原点: 高校同期生26人の証言」 (amazon.co.jp)

— — — — — — — — — — — —

最後に。

この身体に産んで、育ててくれて、高校、大学まで学費を出して、好きなことをさせてくれた両親に、心から感謝します。

遺伝的に、もう少し瞬発力があったらなと高望みしたい気持ちもあるのですが(笑)、おかげさまで長い腕が、それをカバーしてくれてます。

あと小学校のときにサッカースクールに入れてくれていたら、球技コンプレックスがもうちょっと早く克服できたかもしれないのですが(笑)、でもそしたらバレーボールに出会うことはなかったと思うから、これで良かったです。

本当に、ありがとうございます。

ぼくは、たくさんの大切な人のおかげで、生きていられる。

— — — — — — — — — — — —

※岩田さんへの思いについては、別のブログに過去に投稿しています。興味あればこちらお読みくださると幸いです。

岩田さんに、もっと生きてほしかった。 (2015/07/13)
岩田さんは、みんなのハッピーをエンジニアリングで実現していた (2015/12/31)

Failure is the Key to Grit!

失敗したおかげで、勇気を持てるようになった話。

Masaki

Written by

Masaki

Tetsugaku is the key of design.

Failure is the Key to Grit!

失敗したおかげで、勇気を持てるようになった話。

Welcome to a place where words matter. On Medium, smart voices and original ideas take center stage - with no ads in sight. Watch
Follow all the topics you care about, and we’ll deliver the best stories for you to your homepage and inbox. Explore
Get unlimited access to the best stories on Medium — and support writers while you’re at it. Just $5/month. Upgrade